飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

ナタリーの家

■イベントに出展する際のサークル名を変えます。少しだけ変えます。

 平素は格別のお引き立てをいただきありがとうございます。
 これまで同人誌即売会などのイベントに出展する際に「ナタリー」というサークル名を使ってきましたが、今後はそれを「ナタリーの家」としたいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。わたりさえこでした。

■ナタリー、あなたはこれまで宿無しでした。

 ――ということでお知らせは終わりなのですが、最後の機会かもしれないのでナタリーの話をします。
 手元の記録によると、初めてナタリーというサークル名を使ったのは2009年2月に文学フリマに出展したときです。個人サークルですから自分の筆名でも良かったのでしょうが、カタログに太文字で自分の名前が載るようなことは気恥ずかしく、便宜上何か設定しようと考えていました。
 ナタリーと決めたのは直感で、これから述べる由来は全て後付けに過ぎません。でもこれだけ理屈がつけられるということは、割といい直感だったのではないかな、と思えます。

  • できるだけ意味のない名称にしたかった

 ナタリーは人名です。でも誰のことでもありません。誰のものでもない名前に意味はありません。親の願いくらいは込められているかもしれませんが、生まれたばかりの子には関係のないことです。辞書に載っている言葉には意味があります。人名にはそれがないのです。

  • フランス語教科書の登場人物

 誰のことでもないと言ったばかりですが、ナタリーという人物に1人心当たりがあります。学生時代に使っていたフランス語の教科書に登場する Nathalie です。彼女はこれから初めて会う John という男性について、こんな話をします。
「彼は美形? かっこいいクルマに乗ってるって? お金持ちなの? 南フランスにお城を持っているのね。独身かしら? ガールフレンドもいないの。若いかしら? ……若く見える? えっ、50歳? ああ、残念!」
 ナタリーを Nathalie と綴ったのは疑いなく彼女に拠るものです。南仏の城を諦めたナタリーは今日まで家を持たずにいたのでしょう。

■せっかく家があるのだから。

 当たり前のことですが、人と家とは別物です。家はハコです。入れ物です。
 わたしは(わたりは)1人が好きです。うっかりすると何でも1人でやりたがります。1人で始めて1人で進めて1人で終わらせるのが楽です。
 でもこうしてせっかく家をつくったのだから、これからはもっと人を招いて、人の手を借りて、人に助けを求めたいと思います。
 でも結局、ずっとこの新しい家に引きこもって1人きりなのかもね、ともまだ思っています。そうならないようにしたいです。

【連載小説】梁上の君子 目次

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※当分の間、連載を休止します。(2016/3/30)

 4月まで予定しておりました「梁上の君子」の連載を休止いたします。
 本作を同人誌収録のために加筆修正した際、一部内容を変更することになりました。それにより、ブログ掲載分をお読みになった方が後に同人誌を読んでくださった場合、大きな違和感を覚える可能性が出てまいりました。
 そのため、今後の連載予定を一旦未定とし、過去の記事についても非公開の状態とさせていただきます。
 お読みいただいていた方にはたいへん申し訳ありません。
 


小説連載概要

  • 題名:梁上の君子
  • 作者:わたりさえこ -Twitter @watarisaeko
  • 更新日時:2016/2/12~2016/4/29頃、毎週火・金曜21:00予定


目次

  1. 汚れないように、ゴム手袋をはめた。(2016/2/12)
  2. 「江戸川乱歩論――近代合理主義の光が生み出した影の正体――」(2016/2/16)
  3. サークルの追い出しコンパに誘われて行った。(2016/2/19)
  4. 「住む?」(2016/2/23)
  5. 二時間ほどの飲み会は瞬く間に過ぎ、(2016/2/26)
  6. よく晴れていた。(2016/3/1)
  7. 地元の商店が並ぶ通りを十分ほども歩いただろうか、(2016/3/4)
  8. 田んぼの田の字をした部屋だった。(2016/3/8)
  9. 「そやそや」(2016/3/11)
  10. 「一人暮らしだったんだろう」(2016/3/15)
  11. 「それで、その三人で住むことにしたってわけ」(2016/3/18)
  12. 俺が最も熱心に見るテレビ番組であるところの天気予報に、(2016/3/22)
  13. 大学に入って上京したとき、(2016/3/25)
  14. 「青葉君、何か変な食べ物知らへん?」(2016/3/29)
  15. (2016/4/1)
  16. ……以下続く……

 ※更新日の21:00にリンクから飛べるようになります

【あらすじ】
 卒業論文を一文字も書かずに提出した青葉(あおば)は、二度目となる大学四年生の春を迎えることになった。学生アパートから追い出された青葉は、大学の同期だった久保田(くぼた)に誘われ、初対面の神南(かんなみ)と共に2Kの部屋で三人暮らしを始める。生活時間が異なる三人は、付かず離れずの共同生活を続けていたが、ある日部屋に一人になった青葉は、自分の意外な趣味に気付く――


おことわり

  • 題名は仮のものであり変更することがあります
  • 連載の内容は告知なく削除・加筆・訂正することがあります
  • 転載・盗用を固く禁じます

 


とびだせどうぶつの森のデータが消えた話

いつものようにニンテンドー3DSを立ち上げ、とび森を起動させると、上のタイトル画面に見知らぬどうぶつが歩いている。
引っ越してきたのかしら、最近やさおとお別れしたしね、と思ってよく見ると、下画面に「つづきから」の選択肢がない。
私のカナリヤ村はなくなっていた。

原因に心当たりがないでもない。
乱暴に扱ったから、消えてしまったのだろう。
ありゃまあと思う。
とび森 データ 復旧」で検索して、めぼしい情報がないのを確認する。
仕方ないね。

――はて、と考える。
一年近く、毎日のように遊んでいたゲームのデータが消えたのだ。
それも箱庭系の、コツコツと自分好みの世界を作るタイプのゲームである。
ショックかと聞かれたら、ショックである。
「やっちゃったorz」というメールを家人に送ったし。
悲しいかと聞かれたら、悲しい……かな、という気もする。

もっと悲しむべきではないのか。
悲しくなりそうなことを並べてみる。
村を作って356日目だった。
もうすぐ一年経つはずだった。
村長としてはある程度まで開発をやりきっていた。
果樹園にはおそらく全種類のくだものが実っていた。
一人の男を招き、探偵のふりをした庭師という設定を与えた。彼は夜にしか外に出なかった。
もう一人の男にはホテルの建設を依頼し、部屋数も増えてきたところだった。
ひつじ優遇政策を謳ったカナリヤ村には、5頭のひつじがいた。
モヘア、フリル、ジュペッティ、メリヤス、ウェンディ。
ガリガリとボンは越してきたばかりだった。
シュバルツとふくこ、それにモヘアは私が来る前からの住民で、何度も出て行こうとしたのを引き止めた。

全て消えてしまったのだ、と自分に駄目押しする。
そうね、切ないね、と私が答える。
激しい悔恨がお前を襲わないか、と内なる声が尋ねる。
まあ、失敗しましたねぇ、と頬をかく。
頭を抱えてのたうちまわりたくはならないのだ。

だからと言って、そんな些細なことのためにこの一年どれだけの時間を費やしたのだ、という強い後悔があるわけでもない。
楽しかったね、消えちゃったのはもったいなかったね、またやろう。
好きなゲームなのだ。それでいいではないか。
そう、ゲームは本当におもしろくて、引っかかるのは私の心だけなのだ。

どうにもあらゆる感動が薄くはないか。
一年間遊んできたデータが、作ってきた村が消えちゃったんだぞ。
もっと大きな感情が去来してもいいんじゃないか。
このままだと、あ、自動販売機に10円取り損ねて置いてきちゃった、というのと同じような出来事で終わってしまうぞ。
明日は覚えていても、来週にはすっかり忘れてしまうぞ。

この記事も、特段書かねばとは思わなかったのだ。
ただ、このままだとこの気持ちを忘れてしまうなぁと思って、一応書いたのだ。
でも、この文章を投稿せずに消去したとしても、やっぱりあんまりショックでもないし、せっかく書いたのに、という気持ちもすぐに忘れてしまうだろう。

どうも気持ちが無なのだ。
何事にも、あ、そう、という思いになる。
「私が近々死んだら、その瞬間はきっと『しまった!』と思っているからね」と人には伝えてある。
あまりちゃんと聞いてくれていなかったようだ。
それも仕方ないね。

テキレボ2感想 (2) 当日企画のこと

※書き終えて、付記。

 この頃、膨大な量の報告書を延々とチェックする仕事ばかりしている。どうもその文体が、そのままこの記事に出たきらいがある。やけに堅苦しい部分はそのせいである、と言い訳をしておきたい。怖いことないよ。
 というわけで、いろんな企画に出展者として参加して、あるいは一般参加者と同じように回ってみてのとりとめない感想です。

■無料配布スタンプラリー

 用意したペーパーを、たくさんの方に渡すことができました。配る側としても、もらう側としても、声をかけるきっかけができてよかったです。
 これは私の良くない性質なのですが、お金を払うなら失敗したくないという思いがどうしても働くのです。絶対に自分好みだという直感や情報がないと、 なかなか新しい作品に近付けません。それで、いつも同じ作者さんの作品ばかり買うことになってしまいます。
 この企画のおかげで、「全く知らない作者さんだけど……あまり馴染みのあるジャンルじゃないけど……もしかしたら苦手なタイプの話かもしれないけど……でも、何か気になる」という作品に、手を出すことができました。
 配布していて感じたのですが、スタンプラリーが行われていることを知らない方が多かったです。当日、会場での告知がもっとあっても良かったように思います。

■300SSポストカードラリー

 多めに用意したつもりのカードが、終了時には残り2枚になりました。カードの内容について、ブースに来てくださった方と会話をするきっかけにもなりました。
 年賀状で使うようなインクジェットハガキ用紙に自宅のプリンタで印刷したものだったので、ちゃちに見えるかな? と少し心配していたのですが、結局当日は気にせず楽しみました(受け取ってくださった方はどう思われたでしょうか……)。他の方の作品を集めてみると、まず第一印象で、ポストカードとしてのクオリティがすごく高かったです。どぎまぎしました。
 大きさが揃っているものを集めていくのは、普通の無配とはまた違うコレクション感があっておもしろかったです。後で整理するのも楽でした。同じテーマ、基本的に同じ仕様で作品を作っているのに、似たものが出てこないのも楽しいなと思いました。 
 こちらも、企画を知らずにブースに来られる方が多かったです。当日、会場での告知がもっとあっても良かったように思います。

■鳥散歩

 ゆるゆると、でもイベントの序盤から最後の方まで、鳥散歩マップを手にした方が訪れてくださいました。自分は決してお喋りが得意ではないですし、特別に鳥マニアというわけでもありません(鳥が出てくる小説の数は意外と多い)。ですが不思議と、鳥散歩で誰かに来ていただいたとき、鳥散歩で他の方のブースにお邪魔したときは、話が弾んだように思います。
 参加した企画の中で、本の売り上げに一番貢献してくれたのは、実は鳥散歩だった気がします。二言三言の会話があって、「じゃあこの本を買ってみます」という流れにつながりました。自分からも「こういう鳥作品が収録されています」という形でおすすめがしやすかったです。
 私のブースでフクロウの話をしてくださった方に、フクロウの小説が載っている本をおすすめすればよかった! と後になって思いました。反省です。でもたまたま、その本をお求めいただいたような記憶があります。だとしたら、鳥が導いてくれたのでしょう。

■みん☆コマ

 これはサークル参加で自分の席にいる時間が長かったせいだと思うのですが、ほとんど目にする機会がありませんでした。会場内を歩いていても、どうしてもブースや本に注目するので、自然と目に入る感じではありませんでした。例えば休憩スペースからならディスプレイがよく見えた……のかもしれません。告知のアナウンスもあったのかもしれませんが、気付きませんでした。
 他のサークルさんがどんな形で宣伝しているか、気になっていたのですが、じっくり見る時間はありませんでした。残念です。
 あと、自分は参加していませんが、ストリエの展示も見ることなく終わってしまいました。入口近くにあったのでしょうか?

ポエトリーリーディング

 気になっていたのですが、一人参加だったので長時間ブースを離れることができず、でもちょこちょこ覗くという見方はできました。別室開催ではなく、開放型のステージだったおかげです。見たい人は気軽に見に行きやすく、見ない人にはあまり気にならない、ちょうどいい距離感のステージだったように思います。
 泉由良さんの朗読を、本当に一部だけ(最後の演目の一つ手前だったように思います。曖昧でごめんなさい)ですが、聞けました。朗読を聞き慣れていないので、こういう、何と言うか、聞く人を居心地悪くさせるような、逃げ出したくさせるような舞台もあるのか、と動揺するような気持ちになりました。後で由良さんにお会いできたので、そういう言葉の悪い感想をお話ししました。すみません。でも直接お伝えできる機会があって良かったです。

■うぉんうぉーラジオ

 懇親会の途中まで残っていたので、聞くことができました。おもしろいですね、公開収録。お話が達者で、ああ、楽しいイベントだったなぁ、という余韻にひたることができました。ひたりながら、お菓子食べまくりでしたけども。

 ――というところで、ひとまず以上です。書き落としがあったら追記するかもしれません。また、感想(3)があるとしたらいわゆる戦利品に関するものになると思うのですが、書くか書かないかわかりません。お疲れ様でした。

テキレボ2感想 (1) 自分のブースのこと

■ラッキーバッグについて

 おわびから。ラッキーバッグと『投げたボールは戻ってくる』を同時にお求めになった方の一部に、同じ作品が掲載されている旨のお知らせが漏れてしまいました(Webカタログには記載していました)。もし読んでみて「あれっ?」と思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
 ラッキーバッグ、用意してよかったな、と思いました。「ためしに」と買ってくださる方、他の本と一緒に買ってくださる方、たくさんいらっしゃいました。どれか一冊でもお楽しみいただけますよう。
 初めてのテキレボ、初めての純文学カテゴリでの出展(文学フリマには「短編」カテゴリがあったので、いつもそれで登録していました)でしたが、予想していた以上に多くの人に本を手に取ってもらえました。ちょっとびっくりしたくらいです。ありがとうございました。

■ブースについて

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 いつもはブースの装飾にはあまりこだわらないのですが、今回は一ブースが幅90cm×奥行90cmだということで、ずっとやりたかったことを実現できました。それは……、

1. 手荷物置き場を設けたい!

 お買い物側の机上に、何も置きたくない! 空けておきたい! ついに実現できました。
 というのは、自分がお買い物に回るとき、必ずもたついていたからです。いくつものブースを順々に巡る。本やペーパーが手に溜まっていく。でも買い物のためには財布を開けてお金を出さなくてはならない。結果、せっかくの本を落としてしまったり小銭を床にばらまいたりと、失敗を繰り返してきました。
 だから、自分のブースに来てくださった方には、「荷物、一回机に置いていいですよ」と言いたかったのです。でも、なかなかできない。自分の頒布物が机一面に並んでいるからです。さすがに「その上に置いてください」とは言えない。結局、「その辺の隙間なら……」と曖昧なおすすめになっていたのです。
 でも今回は、スペースに余裕があります。がら空きです。やった! 布を敷こうかとも思ったのですが、せっかくなのでチャート付のお品書きを大きく印刷して貼りました。
 これで何でも置き放題です。「置いていいですよ」というお声がけもためらわずにできました。財布やスタンプラリーの台紙を取り出す間に他の手荷物を置いていただいたり、お買い物代行サービスの方に購入物の整理をしていただいたり、狙い通り使っていただけて嬉しかったです。本当は、より遠慮なく使ってもらうためには、お品書きも布もなしで机むきだしの方が良かったかもしれませんが。
 でも、このお品書き、やってみると他にも良かったことがありまして……、

2. 自ブースの範囲がわかりやすい!

 机に貼り付けたお品書きは、A4用紙を縦置きに四枚つなぎ合わせたものです。A4用紙のサイズは210mm×294mm。ということは、このお品書きの幅は、210×4=840mm。実際は用紙が重なっているところもあるので、84cm以下となります。
 前述の通り、今回のブース幅は90cmです。一脚の机をお隣さんと半分ずつ使うわけですが、明確にラインが引いてあるわけではありません。このお品書きを机の端から貼ることにより、約84cmの幅がはっきりわかります。これを目安にすれば、自分に与えられた幅をはみ出すことはまずありません。
 もちろんいつもだって、敷布などでわかりやすく分けるので問題ないのですが、このお品書きのいいところは、誰が見ても大体の幅がわかるところです。布の大きさはまちまちですが、A4用紙は常に、誰のものでも同じサイズです。
 ――要は、「このブース、周りのお邪魔になっていないかな? はみ出しているように見えないかな?」とびくびくしてしまう自分の小心が解消されるという、それだけの話なのでした。

3. チャートを見て本を手に取っていただけた!

 おまけみたいになってしまいましたが、これも本当に嬉しかったことの一つです。大きなお品書きを作るなら、本の紹介だけでなく、一種のナビゲーションを載せたいと思いました。かなり真剣に制作しましたが、あくまで感覚に頼ったもので、論理的・心理学的な根拠は全くなかったのですが……。

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 企画などでたまたま立ち寄ってくださった方に、しばらく足を止めていただくきっかけになりました。軽い話の種になったのもよかったです。実際に「チャートで辿り着いたので、じゃあ、この本ください」という方が数名いらっしゃったのは、望外の喜びでした。

4. おつり皿は便利

 ブースに奥行があると、お金のやり取りが大変ではないかと心配になり、100円均一でコイントレー(おつり皿)を用意しておきました。これをブースの真ん中に置いておく作戦です。
 これは大変うまくいきました。実際のところ、本をお買い上げいただく際には自然と立ち上がることになったので、腕をいっぱいに伸ばしてお金を渡すというようなことにはなりませんでした。でも、コイントレーがあることにより、単純に「あれ、もうお金払ってもらったんだっけ?」「さっきの小銭、どこに置いたっけ?」というようなうっかりミスを防げるようになりました。手渡しで十分だと思っていたのですが、道具には理由があるもの、今後は活用します。

5. 手荷物置場のために不便になったことも

 手荷物置場にするスペースを設けたことで、しまったと思うことも一点ありました。自由に取ってもらって構わない無料配布物も、奥まったところに置くことになったのです。訪れた方の一部は、取りにくそうな様子だったり、勝手に取っていいものか迷ったりしていらっしゃるようでした。
 自分が在席していればお声がけのきっかけにもなって、却って良かったと言えなくもないのですが。でも、もっと気軽にもらっていただきたかったので、無料配布物だけは机の際に配置しても良かったかもしれないと思いました。

※おまけ ブースの裏側

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 ブースを反対側から見たところです。卓上見本誌を置いた什器(牛乳パックとガムテープで手作りしました。最大の欠点はかさばること)の後ろにメモを貼りました。特にイベント序盤、「企画? 何のことですか?」という方が大勢いらっしゃったので、これはご案内が必要だと思い、急遽右上のメモを作りました。これについては、次の記事でも少し触れることになると思います。

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 あっち!

Text-Revolutions第2回に出展します 【C-34】ナタリー

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【イベント概要】
Text-Revolutions 第2回
日時: 2015年10月10日(土) 11:00-16:00  (開催まで残り2日です)
会場: 都立産業貿易センター台東館
入場料: 無料

【サークル概要】
サークル名: ナタリー
カテゴリ: 純文学
代表者名: わたりさえこ (ときどき合同誌も作りますが、基本的には個人サークルです)
ブースNo: C-34

【当日企画への参加について】
●無料配布スタンプラリー(ラリー台紙配布はD-14
 ……フリーペーパー「セロジネ」をブースに置きます。ご自由にお持ちください。ラリー参加者の方にはスタンプを押します。
●300字SSポストカードラリー(ラリー台紙配布はC-01
 ……無料ポストカード「読まれることを」をブースに置きます。ご自由にお持ちください。くじを引かれる方は、ポストカードを集めてC-01ブースへ。
●鳥散歩(マップ配布はB-01
 ……当日頒布物のうち、鳥にまつわる作品をピックアップした見本誌をブースに置きます。また、マップをお持ちになった方には、鳥小説カードを差し上げます。

【当日頒布物について】
>>ナタリー(C-34)のWebカタログ(イベント公式)
>>ナタリーのテキレボ2特設サイト
本の詳細については、上記のリンク先に詳しいのでご覧ください。
なお、今回は新刊がありません。いつも見てくださる方には物足りなくてすみません。新しい作品は、上記の無料頒布物と、テキレボ公式アンソロに収録した小説「ご冗談でしょう、ラインズマンさん」です。

割とぶっちゃけた感じの内容紹介は続きから。

●投げたボールは戻ってくる
 小説再録集。137編収録。とは言え100編以上は140字程度のTwitter小説。それでも文庫本300ページ越えで内容充実。
 この本が一番の自信作です、とおすすめしたい。ただ900円とお高めなので推しにくい……というのが本音。お値段を気にされない方には、これ1冊選んでおけば間違いありません、という紹介の仕方をさせてください。

●吾が子踊る
 小説と詩の作品集。印刷会社さんに装丁おまかせプランで刷ってもらった本。ベルベットPPが作品の質感にも合っていて、ぜひ手に取って見てもらいたい1冊(2冊組だけど)。
 作り方の話になるが、ページは文字ではなく絵として組んでいる(今回の「セロジネ」も同じ作り方をしている)。わたりの本では恒例の巻頭言引用も、今回は特にお気に入り。
 このように本文以外の面で何かとイレギュラーな作品。作品はやや内向き、後ろ向き。立ち読みの際は、詩歌編の方をぱらぱら見てもらって、もし気に入っていただけたなら小説編の方も肌に合うのでは……と期待を込めて。

●劇団パピヨンの軌跡と顛末
 エンタメ系、痛快娯楽活劇、というような宣伝の仕方をしたけども、誤解を生む文句だったかもしれない。はちゃめちゃで楽しい、という感じではない。他の本でないがしろにしがちな「キャラクター」というものを重視した小説とでも言うか。
 意識していないのに常々作品に入ってくるテーマというものが誰しもあって、で、わたりの場合は「家」がその1つだろうと思うわけで、この話は特にその要素が強い。兄弟、夫婦、親子。あと、恋人や友人も。
 テキレボ公式アンソロに「ご冗談でしょう、ラインズマンさん」という小説を載せてもらったが、これを気に入った人には『劇団パピヨンの軌跡と顛末』もおもしろがってもらえそうだ。特に後編にあたる『‐顛末』の方が。

●安全シールをはがしましたか?
 『投げたボールは戻ってくる』はお値段高めでおすすめしにくい……ということで、代わりと言っては何だけど、『安全シールをはがしましたか?』なら500円。この2冊がわたりのスタンダードな短編集で、まず読んでほしいという意味ではおすすめ。
 「クライ、サイレンス」という小説は2011年の震災のときの話で、今でもしばしば思い出しては、これはこういう書き方でよかったかと考える。意図的な嘘がいくつかあって、特にラスト。小説としてのまとまりを優先してここで終わらせたけれど、本当はこの後こそ大変だった。震災文学と呼ばれるものは、今もこれからも生まれていくだろうけれど、私のことを書けるのは私しかいないんだよな、という思いで書いた話。つらかった、という話ではない。むしろ、私はたまたま地震に遭わなかった、という話。

●ただ、いっさいは過ぎてゆく
 太宰本。「太宰治」と聞いて引っ掛かりを覚えた人に読んでほしい。合同誌。対談とエッセイ。
 太宰について何か言いたい人は多いと思う。一家言あるという意味ではない。何だか、太宰の名を聞くと、それに対する自分の立場を表明しなければ、という思いになるのだ。本を読む人は、特にそうではないだろうか。
 100円の小さな本だが、おもしろいと思う。なお、残部僅かであり、今回のテキレボで最終販売とする予定だ。お求め忘れのないように。

●ラッキーバッグ(本の詰め合わせセット)
 通常販売を終了した同人誌4冊に、ランダムで過去に無料配布したペーパー類を詰め合わせたセット。封筒入りで100円。自分で言うことではないが破格だと思う。
 意図が2つある。1つは価格帯。わたり個人の小説本は、現在900円か500円のものばかりである。初めての方におためしで、と呼びかけるには高いと思われる気がした。100円の商品を用意したい、という思いで本を袋に詰めてみた。つまり価格ありきのセットである。
 もう1つ。露骨な言い方をすれば在庫放出と言うか、ガレッジセールをするような思いがある。ただ、このセットには比較的新しい本も複数含まれている。『劇団パピヨンの軌跡と顛末』や『安全シールをはがしましたか?』より後に出たものだ。
 それらの本は、何回かイベントに出て徐々に売るつもりで刷っていた。ところが、都合が合わずイベントに出る機会がほとんどなくなってしまった。そうなると今度は、気持ちとしては新しい本を出したい。別に前の本を長く売ったって一向に構わないはずなのだが、前がつっかえているという状況が気に食わない。そこで、厚めの本は通販に託し(架空ストアさんにお願いしています)比較的薄い本は一気に出してしまい、空きを作ろうと思ったのだ。何も物置を圧迫するほどの在庫を抱えているわけではない。空きを作りたいのは気持ちの方である。

 こんな感じである。何だかもっとあけすけな話をしたいという思いはある。ここに書き足すかもしれない。別に書き足さなかったとしても、わたりはこれらの本を抱えて、今度の土曜日、浅草で椅子に座っている。

----2015.10.9追記----

●セロジネ(フリーペーパー・無料配布スタンプラリー参加作品)
 クラフト紙。A5サイズ4ページと言うか、A4二つ折りと言うか。テキストの祭典にふさわしく、文字ばっかり。
 読切小説がメインで、俳句が少しと、ぼそぼそエッセイ。昨冬に書いた文章が多い。小説は、幻覚を写し取るイメージで書いたもの。おぼつかない文体。
 たくさん刷ってしまったので、どんどんもらってほしい。

●読まれることを(無料ポストカード・300SSポストカードラリー参加作品)
 タイトルはWebカタログ登録上の便宜的なもの。読まれることを意識する、ことについての違和感と抵抗。たいへん不親切なつくりだけど、隙はある。ここだけのヒントとして言えば、300字の文章が2編載っている。
 これもたくさん刷ってしまった。ご自由にどうぞ。

●鳥小説カード(鳥散歩マップをお持ちの方への特典)
 円いカード。『投げたボールは戻ってくる』に掲載した「白鷺」という140字小説をデザインしたもの。鳥散歩マップ(B-01で配布)をお持ちの方に差し上げます。
 サークルカッターを買ったので使ってみたかったのが制作の動機の一つ。
 上記2種に比べると用意は少なめ。品切れの際はご容赦。

別になくてもいいが、

 「小説は、別になくてもいいが、あれば人生が豊かになる」という言説がある。私だったらそんな言い方はしないし、ニュアンスに違和感もあるが、一つのわかりやすい表現だとは思う。

 ところで、前の記事で書いた通り、銅の玉子焼き器を買った。
 今のところ、使い勝手はとてもいい。心配していた手入れも、何とかなっている。
 本当は使い終わりに油を塗ると良いらしいが、それは省いてしまっている。洗剤を使わずに水とスポンジで汚れを落としたあと、ガス火にかけて水気を飛ばし、そのまま置いておく。
 朝、弁当を作るとき、まず最初に玉子焼き器に多めの油をひいて弱火で熱しておく。その間に、卵を溶いて味付けをする。余分な油を拭き取って、卵液を流し込む。
 文章にすると長く見えるが、普通の玉子焼き器を使うときと比べて、油を多く使うくらいで、手間はさほど変わらない。
 何より出来がいい。卵一個分で、弁当に入れるのにちょうどいい大きさの玉子焼きができる。巻くときにちょっともたもたしても、いい焼き色がついてくれる。
 特に、だし巻き卵がうまくできるようになった。焼けてからバットの上で冷ますのだが、前は玉子焼きからだしが浸み出してしまっていた。それが、今は全然出てこない。玉子焼きの中に閉じ込められている感じだ。思い入れのせいかもしれないが、味も前よりおいしく感じる。

 銅の玉子焼き器も、「別になくてもいいが、あれば人生が豊かになる」と言われる類のものだろう。それ一つないからといって、料理ができないということはない。
 よって、小説と銅の玉子焼き器は、同じカテゴリのものだ。

 ある小説――私が自分で書いたものでも、他の誰かが書いたものでも――を一つ、想定してみる。
 もし、私が同じだけの情熱と真剣さをもって、ある小説と銅の玉子焼き器を宣伝したとする。会う人ごとに「あれ、いいよ」と言いふらす。ブログに記事を書く。ツイッターでもこまめに呟く。
 そうしたら、私はきっと、銅の玉子焼き器の方をよりたくさん売ることができるだろうな、という気がしてならないのだ。

 小説の宣伝をするたびに、「こんなやり方でいいのかな」と戸惑う。どうもうまくできている気がしない。何を言えばいいのか困ってしまって、「読んでみてください」のバリエーションを並べるだけになる。
 銅の玉子焼き器の宣伝をするなら、そこまで悩まない。第一、小説をおすすめしようとするときに比べて、文言がすらすらと浮かんでくるのだ。
 小説と銅の玉子焼き器を一緒にするなって? いやいや、その二つは似たようなものであるはずだ。「別になくてもいいが、あれば人生が豊かになる」。ねえ、そうでしょう。