飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

あとまえ(18) 「後生ですから幸せにして」

   「後生ですから幸せにして」(『安全シールをはがしましたか?』所収)

 仕事が一番しんどかった頃、ストリートミュージシャンに憧れた。遅くなった帰り道、駅前でそんな人達を見かけるたびに、胸の内をぎゅっと握り潰されるような心地がした。

 うらやましいと思っていたくせに、そうなりたいとは思わなかった。酔っ払いに絡まれたらどうするのか、警官がやってきて連れて行かれるのではないか、怖い人達のなわばり争いに巻き込まれはしないか。未知の不安が私を路上に立たせなかった。

 バンドもいいのだが、楽器のセットが大変だろうな、などと余計なことを考えてしまう。1人で立っている人の方が見たくなる。きれいな声の女性にはやはり惹かれた。超絶技巧のソロギタリストもいたし、リコーダー1本で勝負する人もいた。全ての人が自分より素晴らしい人生を送っているように見えた。

 4月である。私は憂鬱な職場をとうに辞めてしまい、新たな環境でおとなしく働いていた。いつもの駅を通ると、これまで見たことのない人が1人でマイクをスタンドに立てている。春からこのあたりに引っ越して来たのだろうか、と考えた。

 私が横を通り過ぎた後に、その人の演奏が始まった。ギターの前奏に続いて、歌が入る。

 こんなことを言うものではないだろうが、まあ、その、有名な歌であったせいもあるだろう、その方は、ずいぶんと音を外していらっしゃるようだった。声が、いっこうに正しい音に当たらない。長く伸ばしながら音階を探っている様子だ。私は足早にその場を離れた。自分が歌っているようないたたまれなさに、逃げ出したくさえあった。

 数か月後、もしもかの人が同じ駅前で見事な歌を披露していたとしたら、私は必ず何かしらの感動に打たれるのだろう、と思った。ただ、それは今のところ、「××さんの今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます」とメールの最後に書き添えるときの心とさして変わりないのだ。

 ※この記事は過去のダイアリーから転載したものです。