飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

弁当に罪はないよ

 私が最近お弁当を作らないことに関して、家人とディスカッション。我が家では「お弁当を持たせるか、昼食代として500円を支給」というのが基本ルール。家人は弁当を欲しがるのだけど、私は自分で作る弁当があまり好きでない。それで、家人にだけ弁当を持たせ、私は500円で昼食を買う、ということをやっていたのだけど、これが問題に。弁当の原価はせいぜい100~200円だから、不公平なんではないかと。それを言われると、確かにその通りなわけだ。じゃあ、どうするか。
 1) 2人とも弁当を持っていく ――家人の方はこれで文句なし。ただ、私は朝起きて弁当を作らなくてはならず、しかもおいしくない、というのでいいことなし。ただ、忘れてはならない重要なメリットとして、家計にかかる負担が少なくて済む。2人分の昼食代が200円程度で収まるなら、確かに大きな節約になる。
 2) 2人とも毎日500円を受け取る ――私はこれがいいと思っている。ただ家人はやはり弁当を欲しがる。そんなにいいものでしょうか? 手作りの良さという先入観に騙されてはいないのか?
 3) 家人は弁当を持ち、私は100円相当の昼食を購入する ――荒業だけど妥当か。100円くらいあればカップ麺が買える。まあ私のメリットは、やはりないね。弁当は作らなければならず、昼食代は下がる。しかし毎日弁当食よりはましです。
 「本当に、カップ麺なんかが、弁当よりいいものなのか?」と家人は聞くけれど、「はい、いいものです」と思う。弁当は、自分で作ったというだけで、ちっともおいしくなくなってしまう。悲しい思い込みとも思うけれど、私はこの呪縛から逃れられていません。
 ちなみに、4) 私の収入を上げて弁当代を賄う というのもありですね。家人の弁当要求の正当性は、家計への負担感によって支えられているわけなので、そこを崩せばこちらが有利。
 年間出勤日数を仮に200日として、弁当から外食にした場合の家計負担の増加分が500-100=400円だから、200*400=80,000円。それの2人分で80,000*2=160,000円。年間にあと16万円多く稼げれば、私はお弁当を作らなくて済む理屈。夢のある話だと思う。

 ちょっと意地悪な気分。弁当に罪はないよ。