飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

『ただ、いっさいは過ぎてゆく』

 太宰治トリビュート合同誌である。この本を説明するのは割と難しい。例えば太宰の熱狂的なファンの方が新たな地平を求めて読むと、きっと落胆させてしまうだろう。評論誌というわけではないし、二次創作でも、ムックでもない。
 企画成立に至る話はこちら*1。もともと友人同士でやっていた作家トリビュートの、手を少しだけ広げたわけだ。何となく、太宰についてなら書いてくれる人がいるような気がした。芥川にことよせたエッセイでは、もっと集まりにくかったのではないか。
 エッセイを寄せていただいた全員が、企画の意図を汲み取ってくださっていたのが、私には嬉しかった。「太宰にことよせて自分自身を語る」などと言ってもわかりにくかったのではないかと心配していたが、杞憂だった。また、どうやら太宰に特別な思いを抱いているらしい方々と、「特段そうでもないけれど」という方々が交ざったのも、幸運だった。ちなみに私は「特段そうでも」の方である。
 この本は、結局「市井の私」たちのエッセイ集、対談集である。その中心に太宰がいる。ささやかかもしれないが、おもしろい読み物になっていると思う。

 ところで、文学フリマに申し込んだとき、この本のタイトルは『ただ、いっさいは過ぎていく』になる予定だった。公式パンフレットにもその表記で載っているはずだ。
 私の友人であり、対談の話者であり、そもそも「今回のテーマは太宰ね」と発案した張本人であるまりあんにも、「題は『ただ、いっさいは過ぎていく』でよろしく」と事前にメールを送っていた。彼女の描く表紙イラストに、タイトルの文字を入れてもらうためだ。ただ、彼女はあんまり言葉の細かいところにこだわらない。もしかしたら間違えるかな、そうなったら直してもらわないとな、とうすうすは考えていた。
 案の定、できあがった表紙イラストには「ただ、いっさいは過ぎてゆく」と書かれていた。ただ、ぱっと目に入ってきたその題字がよかった。字と言うより、絵の一部だ。ここから「ゆ」を「い」に直して、というのはあまりに忍びないし、もったいない。私はそのままデータを受け取った。
 そういう理由で、この本のタイトルは『ただ、いっさいは過ぎてゆく』である。

 

 ※この記事は過去のダイアリーから転載したものです。

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