飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

あとまえ(21) 「ホームスチールテクノポリス」

   「ホームスチールテクノポリス」(『ネームプレートテクトニクス』所収)

 

 登場人物の名前は適当に決める。思い付きで命名して、しっくりこなければ変えることもある。そういう「適当」だ。

 奇名を用いるのにも、それほど抵抗はない。人の名前を覚えるのが苦手なので、三人以上の人物が出てくる物語なら、むしろ一人くらいは変わった名前の人にいてほしい。奇名ということはないだろうが、「湖恵」という名前は自分で考えて結構気に入っている。

 避けたいと思っているのは、珍名よりはむしろ難読名である。ストーリーに何度も出てくる名前が読めないのはつらい。ルビが振ってあるページにしおりを挟んでおいて、その人物が登場するたびに戻らなくてはならない。

 だから結局、油断すると「田中」や「斉藤」をあちこちに登場させてしまうことになる。

 

 「ホームスチールテクノポリス」という話を書き上げて、やれやれと家人に下読みをお願いすると、一目見るなり「この名字、読めないよ」と言う。慌ててどの人物のことか確認する。

「えっ、これ、読めないの?」

「見たことない」

 私にとっては青天の霹靂である。《長谷川》を見せたら「なが……やがわ?」と言われたようなものだ。その名字がそれほど一般的でないことはわかっていたが、まさか読めない言葉だとは思わなかったのだ。

 思えば、自分の知り合いに一人、二人いれば、その名字は特に珍しいものと感じなくなるのだから、「珍しい名前」を決める基準の個人差は相当に大きいのだろう。当然、地域差による断絶はさらに激しい。思い込みは恐ろしいものだ。

 

 さて、読めない(かもしれない)名前となれば、それは易しい名前に変えた方がいい。というのが普段からの持論なのだが、このときはまいってしまった。何しろ、第一稿とはいえ、物語は書き終わっている。“彼”は既にその名前で、大げさに言えば一つの生を終えてしまっている。話が始まる前であれば、「じゃあ、やっぱり田中で」で済んだかもしれない。しかしもう棺に入ってしまった“彼”に「君、田中さんだったことにしてもいい?」とは言えない。

 正直、「本当に読めないの? 大抵の人は、読めるんじゃないの?」と疑う気持ちはあるのだが、こればかりは自分一人で考えて答えが出るものではない。ともかく世に出してみるしかない。

 

 そういうわけで、“彼”の名字は「五十里」という。

 読み方はいくつかあるようだが、できれば「いかり」と読んでください。