飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

当日のこと(2-2) 正解/不正解・合格/不合格

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 お隣の芦葉さんに、できあがった消しゴムハンコを見せていただいた。初めて作ったとおっしゃっていたけれど、お世辞抜きでよくできていた。字体に味があって素敵だ。

 彫ってある言葉は《文ふり》だった。《文フリ》でないのは、《ふ》という文字の複雑さを求めたからだろうか。何となく、その気持ちはわかる気がした。芦葉さんは2つめのハンコを彫り始めた。

 

 さて、《高村暦》がやって来た。人の気配がしたので「こんにちは」と言いながら顔を上げると、そこに高村さんがいらっしゃった。高村さんは口を閉じたまま開かず、代わりに《新刊をお願いします》と書いた紙をこちらに示した。私は「あっ、これが噂の Acting Book Seller だ」とピンと来た。

 

 「ピンと来た」と書いたが、実は当日、そこに至るまでの伏線があった。

 少し前、事務局からのアナウンスで、来年4月のイベントについて告知があった。その最後に「皆さん、Twitterで呟いていいですよ」という一言がついてきた。ならばと、私はめったにやらないことだが、2つ折りの携帯電話を開いてTwitterにアクセスし、素直に「何かやるらしい」と投稿した。

 その折に、タイムラインが目に入った。すると、西瓜鯨油社の鯨さんが「高村暦が喋らない」という意味のツイートをしていらっしゃった。高村さんが、それこそ「何かやるらしい」とは事前に知っていたので、「なるほど、そういう演出なのだろうか、後でブースを訪ってみよう」と思った。

 そこに、高村さんがやって来たというわけだ。鯨さんの発言を見ていなければ、ひいては事務局アナウンスがなければ、察しの悪い私はたっぷりあと2、3秒は目をぱちくりさせていただろう。

 

 さて、ありがたくも Acting Book Seller ならぬ Acting Book Buyer である。だが同時に試されているとも感じた。私は、突如現れた高村さん、と言うより《高村暦》に、どう応じるべきだろう?

  繰り返しになるが、私はこういうとき、とっさに気の利いた行動もできなければ、洒落た言葉を口に乗せることもできない。取った対応は、結局いつも通りのものだった。初めて来てくださる方を迎えるにしても、またいつもの高村さんを迎えるにしても、同じような動きをして、同じようなことを言っていたに違いない。

 ただ、1つだけ意地悪な気持ちで尋ねたことがある。「こちらの本はお持ちですか?」だ。私は高村さんが過去にその本を買ってくださったことを知っている。わかっていて聞いたのだ。うっかり高村さんが「あ、はい」とでも言わないかな、と思ってしまった。

 が、この日の為に周到な準備を重ねてきた高村さんが、こんな罠に引っかかるわけがない。こくりと1回肯かれて、意地悪はあっさり終わった。せめて Yes/No で答えられない質問にするべきだった。やはり私は気が利かない。

 

  《高村暦》は限定版であるはずの『高村家の人々』を私に渡して去っていった。それをめくりながら、私は自分が《高村暦》に対して取った言動について振り返っていた。

 最初にできた一瞬の間は、興ざめではなかったか?

 意地悪なら、もっと徹底的にやるべきではなかったか?

 しかし、そんな慣れないことをして 収拾がつかなくなるくらいだったら、やはりいつも通りの対応で正解だったのでは?

 正解。あるいは合格。まさかその判定を高村さんにお願いするわけにはいかない。それこそ鼻白まれてしまう。が、高村さん以外に判断が可能な人がいるとも思われない。

 となれば、自己採点しかない。素晴らしい、合格だ、とは決して言えない。ただ、この舞台は1度きり、再演は2度とないのだから、ここで私がやったことが唯一の正解となるのかもしれない。だとすれば、ぐだぐだになってもいいからもっとへんてこりんなことをやっておけばよかったとも思う。

  これは当日における私の最大の失敗なのだが、Acting Book Seller の本拠地である rg のブースに行くのを、本当にうっかり忘れてしまった。こちらに来ていただいたことで、覗いた気になってしまったのかもしれない。せめて遠くからでも、見ざる、聞かざるに徹する女優のお2人を見てみたかった。私はやはり、舞台に出演するより観客席に座っている方が落ち着く。

 

 イベントも終盤である。2つめのハンコを作り終えた芦葉さんは、「全然、気が付きませんでした」と言いながら、試し押しをした紙を見せてくださった。

 そこには、見事に《!ぞむよ》と印字されていた。頭の《!》や、消しゴムに彫られた完璧な鏡文字が、却って物悲しい。私は思わずこう言った。

「これは……駄目ですねぇ」

 おもしろがってのこととはいえ、「駄目」という物言いはないだろう、と後になって思った。まったくもう、不合格である。