飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

私がトラックの運転手だった頃

 私がトラックの運転手だった頃、いつか人を死なせるのではないかという恐怖に苛まれ、発進のたびにでたらめな十字を切っていた。そうして日々、初めての道をぐんぐん進み、バックで細い路地に入っていた。
 その仕事を辞めてからは車を運転しなくなった。そもそも所有していなかったのだが、やがて家人の都合でやむを得ず購入した。普通乗用車はトラックに比べてずいぶんミラーが小さく、私にはひどく運転しにくかった。自宅に駐車するのも怖く感じ、ますます車から離れるようになった。
 車を買ってから半年ほどで、家人はそれを必要としなくなってしまった。以後の走行距離は、月に十キロから二十キロというところではなかったか。それでも駐車場代を払ったり、自動車税を払ったり、車検の見積もり金額に卒倒したりした。
 もう手放してしまえ、と正直なところ思っている。今時、カーシェアだってできるじゃないか。これではあまりにも不経済だ。だが、「これからもっと乗るかもしれない」と言われてしまった。しぶしぶながら、きっとそうなるのだろう、とは私も思っている。
 そして、どうせ持っているなら乗るべきなのだ。その分ガソリン代もかかってくるだろうが、車検で「あまりに使っていないのですっかり傷んでしまいました」という部品の交換代に取られるよりはましに感じる。私もまた毎日十字を切って車に乗ればいい。どこかで判断が狂ってしまった、何かが間違っている、と思いながらハンドルを握ればいいのだ。