飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

『一汁一菜でよいという提案』

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「悩む時間が人を育てる」や「若いうちの苦労は買ってでもしろ」は、現に悩んだり苦労したりしている人を励まし、勇気づけ、時になぐさめるための声掛けだったはずなので、逆にこれらの言葉のために悩みや苦労を背負うことになっているとしたら、ちょっと発し方や受け取り方を変えたほうがいいと思う。

理研究家の土井善晴さんが書いた『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)という本がある。ほぼ日の対談を読むと、土井さんは最初「『今夜のおかずどうしよう?』が多くの奥さんがたの悩みだと聞いて、『いい悩みじゃないか』くらいに思ってた」が、「よくよく聞くと、現実問題、みんながほんとに苦しんでいる」ことに気付いたという。

この頃は特に、育児の関係でよくそういう話を聞く気がする。「一日中子供の相手ばかり」だなんて、かわいい子供といられて幸せじゃないかと思うのに、どうもあの人もこの人もみんな本当にしんどそうだぞ、これはどういうことだろう、と。

稲垣えみ子さんの『もうレシピ本はいらない』(マガジンハウス)という本(すみません、未読です)も、悩まなくても良いワンパターンの食事を提案して話題になっている。

何でも選べるのはいいことだ。でもあれもこれも選ばなきゃいけないと思うと大変だ。あっちの水は甘いぞというささやきが、四方八方から聞こえてくる。だったら甘い水を選ばないともったいない気がする。選ばないことが損をすることのように思えてくる。

選んだほうがいい、悩んだほうがいい、考えたほうがいい。きっとそうなのだろう。でも全部にそれは無理だ。選ばなくてもいい、悩まなくてもいい、考えなくてもいいと、どうか私に言ってくれ。

『一汁一菜でよいという提案』は、おかずは何品なければいけないとか、仕事をしていても食事はきちんと作らなくてはいけないとか、そういう苦しい縛りから人を解放する考え方だ。もちろん、気が向いたときには、そこにおかずを一品、二品と足してもいい。一汁一菜の形で、こだわることだっていろいろできるだろう。

でも、そのことはひとまず考えないようにしましょうよ。ぽけーっと口を半開きにして、信じる宗教の教祖が言うように……というのではあまりに言葉が悪いというなら、まだ疑うことを知らない素直な心で「一汁一菜でよいのか、それなら簡単だね!」と思い込もうと。私にはそれ以外のことを考える余力はもうありませんよと。

やっと宣伝に舵を切ると、津和野さんの考えも、それに近いものがあると思う。小説を書くときに考えるのは、筋だけでよいという提案。解釈や考察はなくてよいという提案。深みがなくてもよいという提案。

私は無垢に目を輝かせて「それなら簡単だね!」と言うだけである。あなたも口を半開きにして、教祖の言葉に耳を傾けてみないか。

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