飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

互いを知らぬ人たちが同じところを見ていた

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私の友人と私の友人がたまたま友人同士であることもある。しかし今回はきっとそうではないだろう、という前提で記事を書く。

『飛び降りていないことの証明』の表紙イラストは昧さんにお願いした。
以前に『一羽の鳥が飛行機から飛び降りる』というちょっと似たタイトルの本でも描いてもらっていたし(内容は特に関係ない)、何より私が本を作ること自体が久しぶりで、昧さんに絵を頼めるチャンスを逃す手はないぞとアプローチし、快諾してもらった。
その時点で収録作が2つできていたのでデータを渡し、間もなくこの素敵なイラストが送られてきた。

さて、印刷所への入稿〆切数日前のことである。
私は本に載せる3作目の話を書きかけていた。まだ書きかけだったのである。そして没にする直前だった。私は自分の書いたものを捨てることにためらいがない。
しかし今回は人の手を大いに借りているので、そういうわけにもいかない。行き詰まっている中、昧さんに会える機会があって出かけた。
とりとめない雑談に交じって「あの表紙は何を描いたものだと思った?」と尋ねられた。私は、これはこう、これはこういうことを表していると感じた、と答えた。次に昧さんから描くときに考えていたことを聞いた。その2つはずいぶん違っていた。
コーヒーをたくさん飲んで別れ、私はその後、原稿データをまとめてえいやっと印刷所に送った。目をつぶってえいやっと投げるためにも、こういう踏ん切りが必要だったのだ。

面白かったのは、私が何気なく書いた本文中のある描写を、この本の制作に協力してくれた昧さんと津和野さんの2人ともが、気に留めていたことだ。
昧さんはそれを表紙に描き、津和野さんは解説文で触れた。
2人は面識がない(と思う、多分)のだが、同じところを見ていた。その点、間にいるはずの作者が一番無関心だった。私の頭の上を超えて間接的なやり取りが行われている感覚。これだから人の手を経るというのは面白い。

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