あとがきとしてのまえがき
象印社*1発行のアンソロジー『ぼくたちのみたそらはきっとつながっている』に、小説を載せていただきました。 世界観を同じくする、様々な空想のまちが集まった本です。 4/19(日)開催のイベント・本の杜7で発売となるようです。詳しいご案内は、主宰のくまっ…
五十回忌の法要に参列したことがある。お経をあげてもらったあと、法話の頭でこういうことを言われた。「五十回忌というのは、もう、お祝いなんです」 亡くなって長い年月が経っても、覚えられていること。参列者には私も含め、故人と直接会わなかった人も多…
肝心のところを言わないまま、周縁の予告とあとまえ。 私のいないところで出る本だからと、自意識は普段より盛り込んだ。表紙に著者名を入れ、本文には「私」を多用し、巻末にはあとがきを付した。肩の力が入り過ぎた文章もそのままだ。自分は大した者ではな…
『杞憂に外ならない』 このままではショートカットで一生を終えてしまう、という強迫観念に駆られて髪を伸ばしている。髪を洗うのもおっくう、乾かすのもおっくう、寝癖を直すのもおっくうという具合で、鏡の前に立つとため息が出る。伸ばしかけの中途半端な…
大学時代から私の小説を読んでくれている人に、「どうして同じキャラクターでシリーズ物を書かないの」と聞かれた。「答えは長くなるよ」と意気込んだのに、「短めにお願い」とつれないので、仕方がない、簡潔に「登場人物に愛着がないから」と答えた。これ…
ダッシュ付きの記事である。いつもなら小説の本を書いたとき、本当にあとがきめいたことは書かないようにしている。が、『劇団パピヨンの軌跡と顛末』という本に関してのみ、簡単にその来歴や構想について記しておこうと思った。 ともかく、この話には苦労さ…
『劇団パピヨンの軌跡と顛末』 内容について語れることはあまりない。書き終えるまでにずいぶん苦労した。自業自得である。ともかく「けり」がつけられたことにほっとしている。ようやくこの話から手を離すことができる。 お知らせを書いておきます。二年前…
「蛍の光」(『ネームプレートテクトニクス』所収) 日本には私小説の文化があるから、読み手はともすれば主人公の中に作者の姿を探したがる。かく言う自分も、そういう方法に傾きがちな読者である。 「蛍の光」という話は、もしかしたら私小説のように読ま…
「ホームスチールテクノポリス」(『ネームプレートテクトニクス』所収) 登場人物の名前は適当に決める。思い付きで命名して、しっくりこなければ変えることもある。そういう「適当」だ。 奇名を用いるのにも、それほど抵抗はない。人の名前を覚えるのが苦…
「煙草」(『ネームプレートテクトニクス』所収) 献辞というものはまだ書いたことがないけれど、もし今回それをするならば、私は確実に「家人に捧ぐ」としなければならない。 五行前に自分が書いた文章も覚えていられない。そうなってみるとわかるが、この…
自分で本を作ったあと、その中身にことよせて「あとまえ」というブログ記事を書く習慣がある。 「あとがきとしてのまえがき」の意で、本文を読む前につい見てしまうあとがき――のような文章だ。ネタバレはしたくないし、連想ゲームになるので、結局は本の内容…
「安全シールをはがしましたか?」(『安全シールをはがしましたか?』所収) 表紙イラストは昧ちゃんにお願いした。私は昧ちゃんの絵のファンだ。本文がほとんど全くできていない時期に、「タイトルは『安全シールをはがしましたか?』でお願いします」とい…
「後生ですから幸せにして」(『安全シールをはがしましたか?』所収) 仕事が一番しんどかった頃、ストリートミュージシャンに憧れた。遅くなった帰り道、駅前でそんな人達を見かけるたびに、胸の内をぎゅっと握り潰されるような心地がした。 うらやましい…
「行方さんと流石くんの穏やかな日常」(『安全シールをはがしましたか?』所収) この話について語ることはあまりない。 それではあんまりだ、というのであれば、この続きは本編を読んでから見ていただきたいのですが―― これは、「恋に恋する女の子と、恋を…
太宰治トリビュート合同誌である。この本を説明するのは割と難しい。例えば太宰の熱狂的なファンの方が新たな地平を求めて読むと、きっと落胆させてしまうだろう。評論誌というわけではないし、二次創作でも、ムックでもない。 企画成立に至る話はこちら。も…
「クライ、サイレンス」(『安全シールをはがしましたか?』所収) フレドリック・ブラウンを読もうと思ったのは、星新一が好きな作家として名前を挙げていたからだった。 高校生の時だったろうか、創元推理文庫から出ていた短編集『まっ白な嘘』(中村保男…