飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

あとまえ(20) 「煙草」

   「煙草」(『ネームプレートテクトニクス』所収)

 

 献辞というものはまだ書いたことがないけれど、もし今回それをするならば、私は確実に「家人に捧ぐ」としなければならない。

 五行前に自分が書いた文章も覚えていられない。そうなってみるとわかるが、この状態で小説を完成させるのは不可能である。ともかく最後まで文章を書いて、「どうか言葉のおかしなところだけでもチェックしてください」と家人に原稿を託した。その点、家人は細かいところまでねちねちと気が付く。頭に蓄えている知識も、私よりはずいぶん豊富なように思う。身近にいることも併せて、下読みを頼むにはもってこいの性質だ。

 

 それでも、普段から「読んでください」と頼めないのは、ひとえに私と家人の読書に対する嗜好が全く違うからである。我が家には同じ型の本棚が二棹置いてあり、左は私、右は家人が使っているが、まるで辞書で併記された対義語のように別のものに見える。

 これは書くものについても同じで、それぞれが小説を書いても、私は家人の書くものがどうにも好きになれないし、家人も私の小説が肌に合わないという。

 白い壁の方を向いて固まっている私を見て「読んでもいい」と言ってくれた家人には、頭を下げるしかない。私の文章を、しかも同じものを二度、三度と読まされるのは、苦痛ですらあったに違いない。申し訳ないことをしたと思う。

 

 書きながら「流れを踏み外した一行だ、失敗だ」と思った文章を残したまま、原稿を家人に読ませてしまった。読み終えた家人は、「ここだけはおもしろかった」と言って原稿のある一ヶ所を指差した。その先にあったのは見事に、私にとっての踏み外した一行だった。

 

 できあがった本が印刷所から送られてきた。箱の一番上に入っていた完成品を手に取り、「差し上げます」と言って家人に向かって突き出した。案の定、家人は言下に「いらない」と答え、私は本を元通りに戻した。今度、家人の好きなシュークリームでもおみやげに買って帰ろう。