飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

あとまえ(23)´ 『劇団パピヨンの軌跡と顛末』

 ダッシュ付きの記事である。いつもなら小説の本を書いたとき、本当にあとがきめいたことは書かないようにしている。が、『劇団パピヨンの軌跡と顛末』という本に関してのみ、簡単にその来歴や構想について記しておこうと思った。

 ともかく、この話には苦労させられたのである。入稿したときには、親離れ子離れの心地だった。それは、子供を都会に送り出す親のような、心配の交じった優しい気持ち――ではなく、どちらかと言うと「もうあんたのことは知りませんよ」という突き放した気持ちでさえあった。

 昨日、文学フリマというイベントでその本を初お目見えしたところ、夜になって「はじめまして」の方から「続きを待っています」という内容のメッセージをいただいた。私は「ごめんなさい、もう続きはないのです」と返信しながら、複雑な思いにとらわれていた。もちろん、さっそく読んでもらえた喜びが最初にある。その次に来たのは申し訳なさだった。まず読んでくれた方に対して、それから作品そのものに対して、あるいは表紙を描いてくれた友人に対して、さらにお手数をかけた印刷所に対しても――

 要するに、私は自分が不甲斐なかったのだ。

 だから、この限りなくあとがきに近いあとまえは、贖罪の皮をかぶった言い訳だ。情であり、未練だ。大したことは書いていないが、これから『パピヨン』を読んでやろうという方は、できればその後にこの記事を読み進めてもらいたい。また、読んでもらわなくても一向に構わない。

 

 前置きが長くなった。後は努めて簡潔にしたい。

 『-軌跡』は2010年12月、『-顛末』は2012年11月の発行である。これだけで2年の間隔が空いているが、どうも最初の構想はさらに前だったらしい。小説を書くために用意した資料の中に、大学図書館でコピーしたものが交ざっていた。読んだ本の内容はすぐに忘れてしまうのだが、その本を手に入れた場所のことは比較的よく覚えている。

 もともと1冊で収めるつもりの話だったが、半分しか書けずに『-軌跡』になった。その後、一度予告しながら原稿を落とし、結局『-顛末』の出たのが2年後である。

 少なくとも『-軌跡』を書き終えた時点で、この物語の結末は決めていた。あとはそこに向かって書くだけなのだが、とにかく筆が進まない。苦しい。楽しくない。どんなに私のことが嫌いな人でも、私ほどこの話のことを嫌いにはならないだろうとさえ思った。

 それでも、書き始めた時期は早かったので、ぎりぎりの日程でエンドマークまではたどり着いた。しかし、文章はめちゃくちゃ、大事なシーンは抜け落ちて、話の意味が通らない。私はその原稿を家人に投げた。「読んでくれ、そしてもうおしまいだと言ってくれ」という気持ちだった。家人は「もうおしまいだ」とは言わなかった。代わりに、最後まで読んで、こう言った。

「この人物は、こんな行動は取らないよ」

 目が覚めた、というほど劇的なことはなかった。ただ、「そういうものか」と思った。私は、2年に渡って頭の中に抱え続けていた結末を、最後の2日でまるで違うものに変えた。それでどうにか入稿にこぎつけた。

 この結末の変更に関しては、今のところ自分では正しく評価できない。正直、良くなったとは思う。ただ、少なくとも「顛末」ではなくなった。こいつらとおさらばするために書いてきた物語は、最初の構想からすると中途半端なところに落ち着いた。もともと、これはどうしたって続きを書きようのない話だった。だからこそ終われるはずだったのだ。だが今の形では、もしどうしても続きを書こうと思えば、おそらく書けないことはない。

 まあ、書かないな、と思う。さよなら、さよならだ。私はようやく劇団パピヨンから解放された。バンザイだ。カンパイだ。祝福のラッパを吹くのだ。あとは野となれ山となれ。私は原稿を書き終える前ほどはこの話のことを嫌いではなくなった。