飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

当日のこと(3) 50円玉1枚の謎

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 買った本のことを一通り書いておこう。

 シアワセモノマニアの新刊一式。青波さんは言わずと知れた大長編作家――実に様々な意味で"大"長編作家だ――でいらっしゃるけれど、短い話の好きな私にとっては『ハイケイメタファイロマンサー』のような短編集が新刊だとラッキーだ。それにしても、内輪話で恐縮だが「躍動するマシュマロ」が懐かしい。同じテーマで自分が書いた話はまるで思い出せないが、青波さんのこれは印象に残っている。

 1日お隣で楽しませていただいた narrative life の芦葉さんの本も、最後に見せていただいた。見本誌を全種類見て、SFっぽさが気に入った『アクアの宇宙』を買い求めた。もともと児童文学を書いていらっしゃったという。お話の文章も、またお手製の本の作りも、とても丁寧なものだった。

 

 拍手と共に閉会を迎えた。会場がみるみる片付いていくのは気持ちが良い。ブース周辺が片付いたところで、見本誌コーナーの机の撤去を手伝うつもりで廊下に出た。しかし、私が1人で机を持ち上げようとふらふらしているのを見かねたのだろう、優しいお兄さんが「そこに置いといてくれたら、順番に持っていきますよ」とおっしゃるので、お言葉に甘えることにした。せめて、とそのあたりにある机の脚を片っ端から折って帰った。却って邪魔になっていなければいいが。

 東京モノレールに乗る。空はすっかり暗くなっている。車内から見える景色はいいものだ。東京のきれいな部分が、ことさらきれいに見えると思う。窓と窓を挟んで、誰もいないオフィスに整列した夥しい数のパソコンさえ観察できる。外を眺めていて飽きなかった。

 

 さて、帰宅してからお金の計算をすることにした。捌けた冊数のカウントからして雑なので、それほど厳密にやるつもりはない。小銭を重ねて数えているとき、あれ、と気付いた。

 50円玉が奇数個ある。私のブースで販売した本は全て、100円の倍数で価格を設定している。あらかじめ用意したおつりも、100円玉、500円玉、1000円札の3種類だけだ。確かに、100円を50円玉2枚で支払った方はいらっしゃった。しかし、あまった1枚の50円玉の説明がつかない。自分の買い物で出たおつりでもない。

 小銭は仕切りのあるケースに入れていた。1枚の50円玉は、100円玉を詰めてある中に交ざっていた。おそらく、どなたかが100円玉と間違えて50円玉を差し出したのだ。複数枚の小銭を重ねて支払う方は多かったし、普段の買い物で自分がそれをやらかした経験もある。十分にあり得るだろう。そして私はそれに気付かず小銭をしまい込んだ。もちろんこれは、その場で確認を怠った私のミスである。

 それより、1枚の50円玉から私はある物語を思い出した。はやみねかおる『亡霊は夜歩く』。青い鳥文庫から出ている児童書である。

 主人公は文芸部に所属する中学生だ。文化祭で1部50円の部誌を売るのだが、見向きもされない。そこにやってきた1人の生徒が部誌を買ってくれる。その生徒は50円玉を主人公に手渡しながら、「私、あなたのファンなんだ。がんばってね」と言う。初めての「ファン」に感激した主人公は、受け取った50円玉を自分の財布に入っていた50円玉と交換し、記念の硬貨に鎖を通してペンダントとした。――わざと大事な箇所を省いた紹介になるが、こんなエピソードである。

 この本を読んだとき、私もまた中学生だった。小説は書いていたが、学校に文芸部はなかった。まれに友人に無理矢理読ませる以外は、1人で書き、原稿はそれきりフロッピーディスクの中だ。それだけに、物語の中にある50円玉のペンダントはいっそう甘美なものに映った。

  この1枚の50円玉は、「ファン」からのものではないかもしれないが、ともかく私の書いたものを読んでみようと思ってくださった方からいただいたものである。そう考えると、やはりしんみりと嬉しい。あの頃の中学生はすっかりやさぐれてしまったけれど、読まれることのありがたみを忘れることなく、これからも頑張っていきたい。そして、さすがにいい大人なんだから、お金の管理はもうちょっと真面目にやろうと思う。〈了〉