象印社*1発行のアンソロジー『ぼくたちのみたそらはきっとつながっている』に、小説を載せていただきました。
世界観を同じくする、様々な空想のまちが集まった本です。
4/19(日)開催のイベント・本の杜7で発売となるようです。詳しいご案内は、主宰のくまっこさんによるブログ記事をご覧ください。
くまっこにっき。 |空想のまちアンソロジー 発行のおしらせ。
くまっこさんの御本を何冊か持っています。凝っていたり、かわいい見た目だったり、本文の組み方がとても読みやすかったりと、どこをとっても丁寧に作られています。そして表紙のイラストや、アンソロジーならそれぞれの著者の作品が、大切に扱われているのが伝わってきます。
私が今回この本に参加したのは、有り体に言ってしまえば、自分の書いたものをくまっこさんに大切に扱ってほしかったからです。
私の寄稿した小説は「町長選挙」といいます。舞台は湯町。どちらのネーミングも直球なので、詳しい内容は想像していただいて、あとは読んでのお楽しみ。
ここからは雑談です。書かなかったものの話をあまりするものじゃないかもしれませんが、これも〈空想のまち〉ということでご容赦いただいて、町の没案をいくつか。
最初に考えたのは、殺陣町。日光江戸村のような光景が広がる、書き割りでできた町。
それから、建町。建築家や都市デザイナーを多く輩出し、その豊富な人材ゆえ完璧な都市計画を進行中の町という設定ですが、実は「たちまち」と読ませたいだけの駄洒落。
さらに、待町。人捜しをしている人が集まってくる町で、大きな警察組織やいくつもの探偵事務所があるのが特徴。これも「まちまち」と読ませたいだけの駄洒落。
どうしてこれらの町を没にしたかというと、一番は湯町*2の話がすんなりできたからなのですが、他にも理由があります。
この本の世界観では、町を越える人の出入りに関して、特別な制限がかかっています。今、何気なく書いた「輩出」や「集まってくる」という言葉一つとっても、慎重に扱わなくてはならなかったのです。
町を中心に話を組み立てるのに、外との出入りには制限がある。これは、書いてみると予想以上に厳しい条件でした。町の人々がどのように生活しているのかを考えていくと、この条件が立ちはだかる。特に、経済活動というのは物流――何らかの流れがあってこそのものなのだなぁと痛感しました*3。
さて、他の町はどんなところなのでしょうか。どういう人達がいて、何が起こっているのでしょうか。本を読むのが楽しみです。何しろ私は、閉じられた湯町のことしか知らないのですから*4。