飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

誰かがやるのならやってくれるほうがいい

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失われるものも得られるものもある。

さまざまなイベントが中止されたり小さくなったりしている。
残念な一方で、楽になった部分も確かにある。
おっくうだった行事やその準備がなくなったことで、救われた人もいるのではないか。
自分が子どもだった頃を思い出すと、特にそう感じる。

このままいろいろな面倒事がなくなってくれないかな、と考えないでもない。
でも、本当にあれもこれも一切なくなったら、ちょっと都合が悪そうだ。

例えば、お世話になった人が遠くに行くとして、感謝は伝えたいがみんなで集まっての送別会は嫌だ、ということはある。
他方、個人的に声をかけるほどではないが、送別会があるならそこで一言お礼をしておきたい、くらいの気持ちなこともあるだろう。
去り行く当人だって、何もせず黙って送り出してほしいこともあれば、送別会で全員にまとめて挨拶できれば楽だと考えることもあり得る。
そうなると、大人数の集まりごとを避けたがる自分でも、単純に「送別会滅ぶべし」とは言えない。

自分はやらないけれど誰かがやるのならやってくれるほうがいいことって結構ある。

個人から見ればスリムに、全体から見れば多様に。
いろいろなことが整理されつつ、広がりは止まらないでいてくれれば、そのときそのときで便利な道筋を選んでいけそうだけど、そううまくいくかな。