飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

すごい人ほどすごい人じゃなくても

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すごい人にインタビューする側もすごい人であるべきだろうか。
残念だが「それなりに、あるべき」だと考えてしまう。

すごい人は、しゃべることで次々とパスを出している。
それを受け止めればファインプレーになる。
しかし、ボールに気付かないのか、トラップする技量が足りないのか、インタビュアーは度々スルーして、スタンドプレーに走ってしまう。
噛み合わないプレーに、見ているほうはやきもきする。

その後も問題だ。
インタビュー自体を見てから、紙面や映像での仕上がりを目にすると、つまらない質問は実際よりも良く見え、含むところの多い優れた回答はありきたりなやり取りに落ち着く。
ということは、インタビュアーのみならず、編集段階でも何かがやらかされているのだ。

仕方がないのかもしれない。そんなに誰も彼もがすごい人ではないのだから(ここまで努めて棚に上げてきたが、もちろん自分もそうだ)。
でも、あまりにももったいない。すごい人ほどすごい人じゃなくてもいいから、「すごい人」と「みんな」をつなぐところが、もう少しうまく回らないものか。
「すごい人」と「みんな」の間に挟まって、いろんな可能性を得ているのに、ただ中抜きをしている場合じゃない。