飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

2024/3/23(土)同人誌即売飲み会 HUB a Good D! にサークル参加します【B07】ナタリーの家

イベント概要

HUB a Good D! (ハブアグッデー!) │ 2024/3/23(土)16:00-18:00 │ 82 AKIBA TORIM店

サークル概要

ナタリーの家 │ 一次創作 │ B07(17:10-17:55頒布)

頒布物

[新刊]のみくいのたのしみ(エッセイ集│文庫判│24P│2024/3/23発行│100円)
●あまりにも心細い小説書きのためのハンドブック(実用│文庫判│24P│2020/12/26発行│100円)
●投げたボールは戻ってくる(短編・掌編小説集│文庫判│304P│2015/4/19発行│900円)

※以前の頒布時と価格を変更した物があります。ご了承ください。
※通販の予定はありません。

参加チケット購入申込(終了しました)

→HUB a Good D!(Peatix内申込ページ)
※一般参加の場合もチケットの事前購入が必要なイベントです。

頒布物やイベント情報については今後更新予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

あとまえ(29) 『のみくいのたのしみ』

watarisaeko.hateblo.jp
まだ出していない本に補足を入れるのはおかしな話だが、期間限定というやつは待ってくれない。事は急を要する。

『のみくいのたのしみ』という、おつまみとお酒のミニエッセイ集を作った。
その中に、「限りなく地獄に近い天国」として、焼肉ライクにかつてあった飲み放題+食べ放題メニューの話を書いた。
今はない。ないはずなのだが、似たことができるのに気付いてしまった。

レモンサワーとハイボールの飲み放題。30分か、60分かが選べる。一人飲みにはちょうどいい短さだ。
これに単品で牛ホルモンとキムチを付ければ、定額食べ放題でこそないが、本に書いたメニューが再現できる。

飲み放題60分で1度試したが、30分でレモンサワーを3杯飲んだら割と満足したので、もし次があるなら短くしても良いと感じた*1
30分なら330円。牛ホルモン100gが500円、キムチが110円。
この組み合わせだと、940円で30分間、飲み放題付き焼肉が楽しめる。素晴らしい。

ただ、この飲み放題、情報を探しても公式のところがいまいち分からない。
自分は、普段行かない場所を訪れたとき、店舗前のポスターを見て偶然発見した。
店舗限定、期間限定である可能性が大いにある。
そして、どこの店が対象なのか、今日の時点で開催されているのか、はっきりしない。

お近くに焼肉ライクがあって、興味のある方は、探してみてほしい。出会えたらラッキーだ。
生ビール付きのプランもあった。あと、自分が見たところは、14時以降しかこの飲み放題を選べなかったように記憶している。

究極的には、お店に商品があり、対価を払えるなら、飲み放題や食べ放題は自主的に行える。
しかし大抵は無限にできないので、自分の気分と予算とをすり合わせる必要がある。

外食せず、家で飲むという選択肢もある。おつまみを買ってくることもできるし、自分で作ることもできる。
飲み食いの組み合わせを考え、実行する。うまくはまると嬉しい。いまいちだったときは、また新しい組み合わせを試みる。

誰と飲むかも大切だ。一人で飲むときと、誰かと一緒と飲むときとで、選びたいメニューも場所も時間も何もかも変わってくる。
今回の『のみくいのたのしみ』という本では、「誰と」の部分にあまり重きを置いていないが、どちらかというと一人飲みの想定になっている箇所が多いと思う。

お酒を飲みながらの珍しいイベントに出る。なのでお酒に関する本を作った。
何となく気が大きくなっているのか、来た人全員買ってください、という思いがある。
お酒のせいだろうか。だとしたらまずい。自分はお酒の失敗を非常に恐れている。健康を損ないたくない。依存し過ぎたくない。何かあったら、今後お酒の楽しさが大いに減ってしまうのは明らかだ。
お酒に踊らされるな。踊るなら正気のまま踊れ。いや、踊りたくはない。ちょうどよくふわふわと楽しくなりながら、踊らず無事に帰りたい。

*1:結局、60分で5杯飲んだ。バラカルビ50gも追加した。

窓際の電卓


新しい電卓を買ったので、計算の作業がやりやすくなった。

前の電卓だが、壊れているのかどうか微妙なところである。数字が出ないときもあれば、問題なく使えるときもある。
窓のそばに置いて、太陽の光に当ててみたが、やはり動いたり動かなかったりする。万全の状態かは怪しい。

電卓のソーラー電池くらいなら、室内の照明でも働く……と聞いたことがある。
実際の使用感としても、わざわざ太陽の位置を探さなくてもちゃんと使えているな、と思う。
それでも何となく、使いたいときは窓際に持っていくことが多い。

太陽に当たると調子が良くなるなんていうのはまるで人間みたいだ。

ただ、調子の悪いときが少しあるだけでも、電卓という道具はずいぶん不便なものになってしまう。
使用者の使い方が悪かっただけかもしれない。でもごめんな、わたしは機械のことはよくわからないんだ。
冷酷な判断を以ってこれからは新しい電卓を使うこととする。

やらないことリスト


悩みがある。

最近、やらないことリストを作ってみた。
例えば「SNSを1日10分以上見ない」とか、「寝る前にお菓子を食べない」とか、そういうやつである。
自分にとっては、やることリストよりも敷居が低そうに感じられた。
毎日リストを作り直す必要がなく、同じ内容の繰り返しでいい点も楽だ。

自分が良くないと思っている行動を3つ挙げてチェックしている。
そのうち2つは、特に苦労なく「やらない」ことができている。
しかし残りの1つがちっともできない。

「15分以上の昼寝をしない」だ。

日中でも、家にいると寝てしまう。感覚的にはほとんどずっと寝ている。予定が許せば数時間単位になる。
睡眠時間の不足ではないと思う。夜は寝ている。
飲んでいる薬の副作用かと医師に相談しても、むしろ目が冴えて不眠になりやすい薬だという。

リストを「日中は寝室に行かない」にしてはどうか、と提案を受けたので試した。
パソコンに向かってする作業がいろいろあるのだが、その最中も寝たくて、眠たくて、仕方がない。
座っていることがすぐに難しくなる。
結局、机の下に頭を入れて、硬いフローリングに身を横たえて眠った。

解決方法は1つ明確にあって、家の外にいればそうそう寝ないで済む。
電車で座ると眠ってしまうが、図書館などでは意外に眠くならない。

コワーキングスペースを利用するのもありなのかもしれない。
過去に試したこともあり、悪くはなかったのだが、私の仕事では料金面で元が取れないのがネックだ。
また、自宅の環境は整えている一方で、出先で作業をする準備は十分にはできていない。

どうするのがいいだろう。
やらないことさえ難しい。
やりたいことが一体何かもよく分かっていない。

いつもと違う鏡


宿泊先で目覚めて、洗面台でいつものように身支度をしたつもりだったが、顔色がひどく悪かった。
疲れが出ているというより、鏡や照明の違いで見え方が違うようだった。

ささいな理由ですぐ受け取られ方が変わるもののために、毎日そこそこ面倒なことをしているな、と思った。

見た目で判断しないでほしい、というわけではない。というより、人と会うとしたら、見た目を全く無視するほうが特殊な状況だろう。
内面を見てほしい、というわけでもない。大体中身のほうも相当ろくでもないのだ。

無印良品でヘアバームを買った。軽いので、ポーチに入れて持ち歩いて、出先で髪型を整え直すのに使える気がする。
一応、悪あがきをしているのだ、こんな見た目の自分でも。

屈託なく、衒いもなく、異世界転生できるかな?


時代の潮流に乗れている気がしない。見当違いなことを書いていたら見逃してほしい。

長編ミステリ小説を読みたかったので、10冊ほど読んだ。
海の孤島。雪の山荘。資産家が建てさせた大きな屋敷。

異世界転生も、こういったテーマの仲間なのではないか、とふと思った。

ああ、よくあるお決まりのやつですね、というふうに扱われる。
こうなると、自分が書くのは難しいと感じる。あるいは何だか恥ずかしいと。
難しい理由は、例えば、既に名作が多数生まれているから、捻りを入れなくてはと余計な力が入るから、それでもなお陳腐化してしまいそうだから。
恥ずかしい理由は、まるで流行に合わせようとしているように感じるから。
流行に乗って悪いことなどない。しかし他人と同じことはやりたくないという過剰な自意識を、物を書く人間は抱きがちではないだろうか。それこそ余計な考えだろうか。

あらゆるものを異世界転生させているな、と自分でさえ感じた時期があった。だから流行していたのだろう。
王道も、邪道も、パロディも、虚をつくやり方も、もう試され尽くしたのではないかというほどだ。
あらすじだけを見て、今世でおやりになったら? と思ったことがないでもない。

もし、猫も杓子も同じテーマで書きまくって世の中が駄作で溢れかえる……としても、その事態を忌避すべきではないだろう。
そんな遠慮や躊躇で、生まれるはずだった作品がなくなるほうが、恐らくもったいない。
河原は石で埋め尽くされるべきである。
途方に暮れるような数の石くれの中に、価値ある宝や、磨くべき素材を見出だすのが、編集者やブックキュレーターといった人々が本来担うべき、ひどく困難で大切な仕事なのだろう。

異世界転生ものを書く人は、勇気がある。孤島や山荘、屋敷に挑む人と同様に。
自分にそれができるだろうか?
書きたくなったら書くべきだろう。石ころを増やせ。こんな凶悪犯と同じ場所にいられるかと、ためらうことなく叫んでいけ。

飽食の人


レストランに入ったら、普通の味のものが少ない量で出てきたので、寂しかった。物足りないので追って注文しようか迷ったが、寂しいお店でおかわりするのがためらわれて、やめた。

食いしん坊の文章である。

「普通の味」と書いてしまったが、真っ当においしかった。ただ、思ったようにおなかがふくれなかったので、ことさら満足感が低かったのだと思う。

大食漢ではないつもりだ。しかし腹八分目に留めるのは苦手である。少しだけ食べるのは難しい。食べるなら満腹まで食べたい。
そうでないなら、食べないほうがむしろ楽だ。意図的に食べないことは、たまにある。

断食について調べると現れる、思想的な説明も、科学的な(あるいはそう見える)説明も、いまひとつしっくり来ない。
「食べない」という「断」の部分、オール・オア・ナッシングで割り切ろうとしているところに、魅力を感じているのかもしれない。
とは言え、ここでイメージしているのは、非日常的なレジャーとしての断食である。
断食の必要に迫られたいわけではない。

食べたいのに食べられないのはぞっとしない。
今日食べたおいしいものを、できるなら明日も食べたい。
健康、経済、社会的ないろいろ……多くの条件がそろって、初めて叶う願いである。
皆の願いがちょうどよく叶い、なおかつ、自分も満腹になりますように。