飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

共有の弊害

 これだけ無数の人と感想が共有できるようになっちゃうと、作り手にとってはハードルが上がるというのを越えて、もはや辛いものがあるんじゃないか。
 特に連載物やシリーズ物をやっている人は大変そうだ。例えば連載のミステリ漫画を想定してみる。作者が渾身のトリックを仕掛けた。読者が100人いたとして、1人しか解けないようなものだったとする。でもその1人が「こうじゃない?」とネットに書き込めば、10人だか20人だかはそれを見た上で、後日の解答編を待つことになる(読後に「作品名+感想」「作品名+考察」で検索をかける人は何割くらいいるのだろう?)。もしもそれで「意外と簡単だった」などと思われたらたまらない、と私は思ってしまう。
 新作が遅れに遅れているシリーズ物の小説の話を聞くと、もう読者に先の展開を予測されすぎて続きが書けなくなっているんじゃないか、と勘ぐってしまう。こんな考え方は作者を莫迦にしていることになるのかもしれない。が、読者の1人として予想できない展開を作れる作者がどれだけいるだろう。100人のうちの1人には見抜かれるけれど、99人を驚かすことのできる話なら、それはそれで十分じゃないか。その芽が摘まれているとしたら、窮屈過ぎるし、もったいないな。