飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

あとまえ(15) 「クライ、サイレンス」

   「クライ、サイレンス」(『安全シールをはがしましたか?』所収)

 フレドリック・ブラウンを読もうと思ったのは、星新一が好きな作家として名前を挙げていたからだった。

 高校生の時だったろうか、創元推理文庫から出ていた短編集『まっ白な嘘』(中村保男訳)を求めて読んだ。どの話もおもしろく、ぞくぞくした。仕掛けのある構成も自分好みだった。

 ただ、一編だけどうもしっくりこないタイトルの作品があった。「叫べ、沈黙よ」である。沈黙が叫ぶという相反するイメージがうまく湧かず、ぴんとこなかった。作品の内容に合っているかも怪しいと思ったし、どうにも格好を付けている感じが気に入らなかった。

 巻末を見ると、原題は "Cry Silence" ということだった。私は生意気にも「 "Cry, Silence" ならともかく、この題では『叫ぶ沈黙』くらいがせいぜいではないか」などと考えていた。それでも、話は気に入ったから繰り返し読んだ。

 それから何年も経ってからのことだ。図書館をうろついているときに、偶然『さあ、気ちがいになりなさい』という本を見つけた。フレドリック・ブラウン短編集の新装版で、訳者は星新一その人だった。

 私はすぐに借りて読むことにした。カウンターに本を持っていく前に、目次をめくる。そこに並んだタイトルの一つに「沈黙と叫び」があった。

 明らかに、私の知っている "Cry Silence" である。いかにも星新一らしい簡潔な訳題だ。そしてまた、それは私が高校時代に望んだはずのシンプルさだった。

 しかし、私は「沈黙と叫び」の字面に既に違和感を抱いていた。本文を読み終えるに至るまで、居心地の悪さは変わらなかった。訳が悪いとは思わなかった。ただ、私の中で "Cry Silence" はすっかり「叫べ、沈黙よ」になってしまっていたのだ。

 ブラウンの「叫べ、沈黙よ」は佳品である。原文の "Cry Silence" もいずれ読もうと思いつつ、まだ果たしていない。

 ※この記事は過去のダイアリーから転載したものです。