飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

新刊ができあがったので本のサイズの話をします

新刊小説集『インドアゲームズ』が完成しました

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▲鈍器(クラスの本)が目立つテキレボ界隈では薄めの冊子でしょう。46ページ。

印刷所にお願いしていた新刊が届きました。ざっとページ番号など確認したところでは問題ないようです。予定通り、テキレボに持ち込めそうです。

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▲目次。何回確認しても間違えていそうでドキドキする。

表紙は画用紙に近いという紙を選びました。表はPP加工してありますが、めくると裏がごわごわしています。ラフな感じがいいです。

ところで急にサイズにこだわる

さて、Webカタログではこの本は「新書判」と表記しています。これまではA6判(文庫判)かA5判で本を作ってきました。特に最近はほぼ全て文庫判です。「新書判はちょっと整理しづらいなぁ。縦長すぎるよね。それに、個人的には本文は2段組じゃない方が読みやすいし」と一貫して考えていました。

ところが、春のある日のこと、突然「あれっ、文庫本ってちっちゃいぞ?」と思ったのです。「1ページにちょっとしか文章が入らないじゃん」と、今さら、しかも自分で書く小説は短いくせに、感じるようになったのです。

 一旦気にし始めると落ち着きません。こうなったら、いつもと違うサイズで本を作ってやろう。しかしどのくらいがいいのか。A6判を小さく感じるようになりましたが、A5判は大きすぎて威圧感があります(と、ノイローゼ気味に思っていたのです)。B6判のサイズ感は好きですが、自分で文字を配置するとどうもしっくりくるバランスになりません。

本棚の本を引っ繰り返して、一番ピンと来たのは、ノベルス判の2段組でした。

確認すると、ノベルス判はほぼ新書判と同サイズです。いずれにせよ各辺の長さは一つに決まったものではなく、持っている本を比べてもレーベルごとにはっきりと差がありました。印刷所さんの仕様を見ると、自分で細かくサイズ指定ができるようだったので、こうなったら自分が一番納得のいくサイズで作ることにします。

人並ノベルス判の誕生

横幅はすぐに決めました。105mmです。これは文庫判と同じです。本棚に文庫と新書を並べると、幅の広い新書の方が少し手前に飛び出すのが常々気になっていたのです。

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▲というわけで、文庫本と幅を揃えました。

しかしこれでは、ただでさえ「縦長すぎるよね」などと言っていたのに、なお長くなりかねません。ページを開くのもやりづらくなってしまいます。

縦の長さをいろいろ試してみました。B判に揃えて182mmではどうか(これは縦に長すぎました)、あるいはA判に揃えて148mmではどうか(これはただの文庫判でした)。持っているノベルスや新書も定規で測りながら見比べます。

その結果の173mmです。173mm×105mm。「人並ノベルス判」と勝手に名付けました。

f:id:sweet_darling:20161004215218p:plain▲ほら、並べても手前に飛び出さない。(見えますか?)

できあがりは手になじんで嬉しいサイズ感でした。他の人からしたらたぶん意識しないかささいなことで、むしろ「他の新書やノベルスとサイズが合わないではないか」と言われる恐れもあり、だとしたらそれはごもっともと頷くしかないです。

普段本の見た目にはほとんどこだわらないくせに、気の迷いで面倒な非定型サイズの本作りに取り組むことになりましたが、ともかく、今の時点では自分としては満足です。

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▲文庫と重ねるとちょうどタイトルが見えます。えっ、昧ちゃん、計算してた?

 

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インドアゲームズの表紙は本当にかっこいいんだ

表紙イラストを描いてもらいました

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▲まずは見てください。もうね、もう、もう。

来週のテキレボ4で頒布する新刊小説集『インドアゲームズ』の表紙です。

友人の昧ちゃんにお願いして描いてもらいました。過去には『投げたボールは戻ってくる』『安全シールをはがしましたか?』、『一羽の鳥が飛行機から飛び降りる』(頒布終了)に描いていただいています。4冊目! ありがとうございます、ありがとうございます。

そういうわけでこの表紙イラストを愛で続けるブログ記事です。

いつもの無茶振り

表紙をお願いする時点で、こちらの全ての原稿が完成していたことは一度もありません。堂々と言うことではありませんけども。

『一羽の鳥が飛行機から飛び降りる』と『安全シールをはがしましたか?』のときは、タイトルだけを伝えて(と言うかそれしか決まっていなくて)、ほぼその条件のみで描いてもらいました。そして描いてもらった絵を見てから、表題作を書きました。

『投げたボールは戻ってくる』は再録集だったので、大体の原稿は揃っていて、表題作が手つかずという状態でした。揃っている分の原稿データを送り、表題作のキーになるもの(新幹線など)だけを伝えて、描いてもらいました。この原稿データはPDFで200ページ以上あったはずですが、昧ちゃんは全部読んでくれたそうです。

この文章を書きながらも冷や汗がすごいんですが、とりあえず続けます。

今回の『インドアゲームズ』では、表題作の登場人物プロフィールと、冒頭部のあらすじと、最初の1ページの原稿データを送りました。少しでも出せる情報を出そうと考えてそうしたのですが、どれも断片的で、却って難しくしてしまったのではないかと後になって反省しました。

それでも昧ちゃんは、素敵なイラストを描いてくれました。へんてこりんなイメージで恐縮ですが、イラストを目にしたとき、泥の池から光る玉を持って現れる女神様の姿が私の脳裏に浮かびました。

ところが! しかも! のみならず!

結果的に、あらかじめ伝えていた登場人物プロフィールも、あらすじも、最初の1ページも、全部変わったんです。変えたんです、私が。既にイラスト描いてもらってるのに。入稿ギリギリで。ばか! おたんこなす!

さすがにまるっきり別物というわけではないのですが、「話が違うよ」と言われたら、返す言葉もありません。だって話が違うんですもん。

ですから、もしもイラストと本文でイメージが違うと感じることがあったら、それは本文の責任です。これは過去のどの本でもそうです。この不義理な依頼人に凝りずにイラストを提供してくれる昧ちゃんには、頭が上がりません。

あと、イラストを頼んだ後に和田誠『装丁物語』を読んで、やっぱり冷や汗だらだらになりました。いい本でした。

この題字がすごい

今回特にお願いしたのは、「『インドアゲームズ』という題字を手書きしてほしい」ということでした。細かい指定はしなかったので、どんな風になるかなと楽しみにしていました。

そうしたらこれですよ。すごい……すごくないですか? 詰め寄り方が馴れ馴れしくもなるってものです。まさかこうなるなんて思いもしませんでした。

字にも、その配置にも、媚びがないと感じます。私は大抵、媚びと言うか、無難な方に簡単に転んでしまうのですが、そういう気持ちだと、この題字の置き方はできないと思います。

注文を汲んでくれているのに、私の漠然とした予想とは全く異なる表紙になりました。女の子の表情も、立ち姿も、Tシャツも、模様も、最高です。

というお手紙を書こうとしたけれど

こういうことは、ブログに載せるというよりは、個人的なお手紙として御礼と共に渡すのがいいだろうと思うのですが、長い! 重い! ねちっこい! の三重苦があんまりにもあんまりだったので、公開して希釈することにしました。

昧ちゃんありがとう。このイラストを表紙にすることが、本を作る上での大きなモチベーションになりました。これを描いてもらっていなかったら、本も出なければイベント参加もキャンセルしていたかもしれません。それだけ、めげたときの励みにさせてもらいました。本当にありがとう。

私の本の表紙じゃなくて、昧ちゃんが何か作品を世に出すようなことがあったら、買えるものなら買わせてね。そういうことがあればいいなと、個人的には思っているのですが。

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とにかく机の広いイベントに出ます

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テキレボに出ますがディスプレイが決まっていません

来週10/8(土)は、第4回Text-Revolutions(テキレボ)という、文章系の同人誌即売会にサークル参加します。ブースNo.は【F-09】、サークル名は「ナタリーの家」(ちょっと変えました)。昨年の第2回以来、2度目の出展です。

バタバタと新刊の入稿を終わらせて、これから大急ぎで当日の準備をしなければならないのですが、大事なことが決まっていません。

ブースの机のディスプレイです。この机が、テキレボはやたらと広い。

f:id:sweet_darling:20151010110505j:plain▲第2回テキレボの自ブース。広いと言うか、奥行きがすごい。

 1ブースあたり90cm×90cmです。私の左肩から右腕を伸ばした指先までが大体90cm。かなり身を乗り出さないと机の向こう側まで手が届かないくらいです。

前回出展時は自分にしてはかなり頑張って用意しました。今回はどのくらい手をかけられるだろうか。あまり難しいことはできないにしても、何か違うことができないだろうか。

世界観、その曖昧なるもの

せっかく広いスペースを使えるのです。この机の上も何か表現の場にならないものか。何か……こう……頒布する本の世界観を見せるような……既刊だと例えば……

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▲新幹線とか……

あと何だろう、ジャム工場とか……寝室とか……押し入れとか……

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北陸新幹線とか……

…………。

走れ新幹線、そして本をアピールせよ

北陸新幹線は、頒布物で言えば再録集の『投げたボールは戻ってくる』に1話書き下ろした話が収録されているだけなのですが、開通への思い入れが強すぎてグッズもいくつか買ってしまいました。

なので(思い入れと言うか材料があるので)この新幹線をブース上に走らせたらどうだ。動きのある机上、いいじゃないか。目立つぞ。

さっそく、家のテーブルで試してみます。まずはレールを敷きます。奥行が70cmしか取れなかったので、実際の机ではもっと複雑なコースを作ることも可能なはずです。さらにトンネルを設置することで北陸新幹線走行中の携帯電波の届かなさ(めっちゃ不便)を表現。もちろんブースなので、とりあえず手元にある既刊も並べてみます。最後に電池を入れた車両を置いて、スイッチオン。

さあ、これでどうだ!

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▲シャ――――――――――――ッ

当然ダメです

想像をはるかに越えてショボい……のは本の並べ方があまりにも雑だったせい、またコース形状がシンプル過ぎたせいだと思いますが、それを別としてもこれはダメです。アウトです。

スイッチオンの瞬間にわかりました。モーター音がうるさすぎます。こんなに鳴るものだったのか。これをイベント会場でやったら、明らかに周囲への迷惑です。要項に「会場内での新幹線の走行禁止」の項目を追加させてしまいます。

そうだよな、実際の新幹線のレールには防音壁があるもんな。ここにはそれがない。あと、たぶん左右に壁があったとしても、机上では上から覗く形になるので、普通にうるさいと思います。最初から無理だったんだ。夢は潰えました。

いつか回転寿司のような即売会を

ところで新幹線で思い出すのは回転寿司です。タッチパネルで注文すると、頼んだお寿司や食べ物が専用レールを通って、新幹線に引かれて走ってくるタイプのお店があります。どうしてそんなことを? と最初は思ったのですが、結構広まっているようです。

今回の目論見は失敗に終わりましたが、今度はどうせなら本が回ればいいのにと思うようになりました。イベント全部に回転寿司システムを導入。会場中にレールが張り巡らされていて、気になる本が回ってきたら取り、お皿の色と数で会計するのです。なかなか回ってこない本は、タッチパネルで注文すると専用レールでシャーッと届く。そのときこそ新幹線、君の出番だ。

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▲本を取ろうとすると遮断機が下りてジャマされる仕組みだけでも作りたかったのですが、誰の得にもならないのでやめました。

最後に躍動感のある既刊紹介でお別れです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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▲当日は当たり障りのないディスプレイでお会いいたしましょう!

「ひっかくは、かみつくは」が気になる

(2016-06-19に一度公開した記事を元に改題・修正・加筆しました)

■「ひっかくは、かみつくは」が気になる

 『よみきかせおはなし絵本(1)』(千葉幹夫編著、平成28(2016)年1月*1成美堂出版)という絵本を見る機会があった。たぬきは海の底に沈み、おおかみは井戸の底に沈み、「ころして しまいました」という文章もあっさり書いてあって、私が親しんだパターンの話より残酷なものも多く、たいへんおもしろかった。
 ところで、この中の1編である「ブレーメンの音がくたい」に気になる文章があった。

ひっかくは、かみつくは、さけぶは、けとばすはで、とても 一人の まじょの しわざとは おもえません。

 引っかかったのは「ひっかくは、かみつくは」等の「は」の部分だ。私の感覚では「ひっかくわ、かみつくわ」となるように思えた。「正しくは、どっちなんだろう」。このときはそう思った。

■まずは「現代仮名遣い」を確認する

 はじめに現代仮名遣いの決まりごとを確認してみたい。そう思って、とりあえずネットで検索すると、すぐに文部科学省のサイトに告示が載っているのが見つかる。便利過ぎて不安になるくらいだ。
 「現代仮名遣い」(昭和61(1986)年7月1日、内閣告示第一号)に、このような記述がある。

第2 特定の語については,表記の慣習を尊重して,次のように書く。
 (中略)
2 助詞の「は」は,「は」と書く。
 (中略)
〔注意〕 次のようなものは,この例にあたらないものとする。
いまわの際 すわ一大事
雨も降るわ風も吹くわ 来るわ来るわ きれいだわ

 「雨も降るわ風も吹くわ」が例外としてある。これに従えば、「ひっかくは、かみつくは」は、やはり「ひっかくわ、かみつくわ」と書くことになるだろう。
 ただ、「これに従えば」の部分は強調しておきたい。「現代仮名遣い」の前書きでは、この告示はあくまで「よりどころ」であるという姿勢が注意深く貫かれている。全文を引用することはしないが、例えばこうある。

3 この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。

 このことについては、後でもう一度書きたい。

■そもそも「は」とは何なのか

 さて、前記の「現代仮名遣い」によれば、「雨も降るわ風も吹くわ」は「助詞の「は」は,「は」と書く」という原則の例外とされている。ということは、「雨も降るは風も吹くは」と書いたときの「は」は助詞ということになる。当たり前じゃないかと言われてしまいそうだが、自分は「この『は』はどういう意味だろう? 主語に付くものとは違うのだろうか?」と首を傾げてしまったのだ。
 不勉強の恥ずかしさに泣きながら辞書を引いてみる。『岩波国語辞典』第七版新版だ。

は〔〔係助〕〕
 (中略)
(キ)《文末・句末に置いて》表現主体の感懐を託して言う。「ああ、その時の、うれしい感情-、飛び立つような心-」「ある-、ある-。びっくりするほどだ」▽述語の省略とも見られ、文語「は」の文末で解決を求める用法に由来する。終助詞「わ」の源。

 ここまで来たので、「終助詞『わ』」も引いておく。

わ〔〔終助〕〕
《活用語の終止形に付く》(1)軽い詠嘆の意を表す。「いいお天気だ-」「降る-降る-」(中略)▽文末に使った係助詞「は」から。

 係助詞「は」から終助詞「わ」が生まれた。皆が知っていることを今さら確認して感心しているだけなんじゃないか、という恐れには目をつぶろう。
 「述語の省略とも見られ、文語『は』の文末で解決を求める用法に由来する」というのがおもしろいと思った。「ああ、その時の、うれしい感情は、飛び立つような心は」*2は、「ああ、その時の、うれしい感情は(いかばかりだったか)、飛び立つような心は(どれほどのものだったか)」などといった文章のカッコ部分を省略した、というような意味でいいだろうか。
 しかしこれで納得した。「雨も降るは風も吹くは」が「は」と書かれることがある理由自体、これまでわかっていなかった。終助詞、つまり文の終わりにつく文字として、「は」なんておかしいじゃないか、くらいに思っていた。元は係助詞「は」から来たのだと知って、やっと腑に落ちた。

■改めて、絵本における「ひっかくは、かみつくは」について考える

 「ひっかくは、かみつくは」に話を戻す。
 私はこれを絵本で見たとき、「正しくは、どっちなんだろう」と思った。もっと露骨に言えば「これは、間違っているのでは?」と考えた。
 この「間違い」とは、何に照らし合わせて「間違い」と言うのか。私の場合は、「学校のテストでこれを書いたら間違い」ではないか、という感覚だ。
 「現代仮名遣い」の告示と同じ日に「学校教育における『現代仮名遣い』の取扱いについて」(昭和61(1986)年7月1日、文初小第二四一号)という通知が出されている。

一 小、中、高等学校における現代仮名遣いの指導については、原則として、この告示によるものとすること。

 よって、やはり学校では「雨も降るは風も吹くは」ではなく「雨も降るわ風も吹くわ」と教えるのが原則であり、教科書であれば「ひっかくは、かみつくは」という文章は「ひっかくわ、かみつくわ」と書くべきだろう。
 しかし、絵本は教科書ではない。
 絵本が教材として扱われる場合があるのは否定できない。「ひっかくは、かみつくは」という表記に親しんだ幼児が、後に学校で「ひっかくわ、かみつくわ」が正しいと教わることで混乱する恐れを指摘することも可能だろう*3
 ただ、基本的には、絵本は一つの作品である。作者は意思や意図をもって「ひっかくは、かみつくは」と書いている。繰り返すが、「現代仮名遣い」はあくまで「よりどころ」であり、「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」。
 「ひっかくは、かみつくは」という書き方に対して言えるのは、「学校で習う書き方とは違う」というところまでである。少なくとも安易に「正しい」「間違っている」と言うことは避けるべきだろう。後は読む人それぞれの受け止め方次第である。私はここまで調べたことで、ようやく少しすっきりした。

*1:出版社のサイトによればこの本が出版されたのは2002年7月である。実際に手にした本のカバーに刷られていた発行日は2016年1月だった。

*2:この文章の出典が気になったが、残念ながらわからなかった。他の用例も山ほどあると思うのだが、探そうとするとなかなか見つからない。歯がゆい。

*3:ただ今回取り上げた絵本が「よみきかせ」をタイトルに冠したものであることは念のため再び記しておく。

ナタリーの家

■イベントに出展する際のサークル名を変えます。少しだけ変えます。

 平素は格別のお引き立てをいただきありがとうございます。
 これまで同人誌即売会などのイベントに出展する際に「ナタリー」というサークル名を使ってきましたが、今後はそれを「ナタリーの家」としたいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。わたりさえこでした。

■ナタリー、あなたはこれまで宿無しでした。

 ――ということでお知らせは終わりなのですが、最後の機会かもしれないのでナタリーの話をします。
 手元の記録によると、初めてナタリーというサークル名を使ったのは2009年2月に文学フリマに出展したときです。個人サークルですから自分の筆名でも良かったのでしょうが、カタログに太文字で自分の名前が載るようなことは気恥ずかしく、便宜上何か設定しようと考えていました。
 ナタリーと決めたのは直感で、これから述べる由来は全て後付けに過ぎません。でもこれだけ理屈がつけられるということは、割といい直感だったのではないかな、と思えます。

  • できるだけ意味のない名称にしたかった

 ナタリーは人名です。でも誰のことでもありません。誰のものでもない名前に意味はありません。親の願いくらいは込められているかもしれませんが、生まれたばかりの子には関係のないことです。辞書に載っている言葉には意味があります。人名にはそれがないのです。

  • フランス語教科書の登場人物

 誰のことでもないと言ったばかりですが、ナタリーという人物に1人心当たりがあります。学生時代に使っていたフランス語の教科書に登場する Nathalie です。彼女はこれから初めて会う John という男性について、こんな話をします。
「彼は美形? かっこいいクルマに乗ってるって? お金持ちなの? 南フランスにお城を持っているのね。独身かしら? ガールフレンドもいないの。若いかしら? ……若く見える? えっ、50歳? ああ、残念!」
 ナタリーを Nathalie と綴ったのは疑いなく彼女に拠るものです。南仏の城を諦めたナタリーは今日まで家を持たずにいたのでしょう。

■せっかく家があるのだから。

 当たり前のことですが、人と家とは別物です。家はハコです。入れ物です。
 わたしは(わたりは)1人が好きです。うっかりすると何でも1人でやりたがります。1人で始めて1人で進めて1人で終わらせるのが楽です。
 でもこうしてせっかく家をつくったのだから、これからはもっと人を招いて、人の手を借りて、人に助けを求めたいと思います。
 でも結局、ずっとこの新しい家に引きこもって1人きりなのかもね、ともまだ思っています。そうならないようにしたいです。

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【連載小説】梁上の君子 目次

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※当分の間、連載を休止します。(2016/3/30)

 4月まで予定しておりました「梁上の君子」の連載を休止いたします。
 本作を同人誌収録のために加筆修正した際、一部内容を変更することになりました。それにより、ブログ掲載分をお読みになった方が後に同人誌を読んでくださった場合、大きな違和感を覚える可能性が出てまいりました。
 そのため、今後の連載予定を一旦未定とし、過去の記事についても非公開の状態とさせていただきます。
 お読みいただいていた方にはたいへん申し訳ありません。
 


小説連載概要

  • 題名:梁上の君子
  • 作者:わたりさえこ -Twitter @watarisaeko
  • 更新日時:2016/2/12~2016/4/29頃、毎週火・金曜21:00予定


目次

  1. 汚れないように、ゴム手袋をはめた。(2016/2/12)
  2. 「江戸川乱歩論――近代合理主義の光が生み出した影の正体――」(2016/2/16)
  3. サークルの追い出しコンパに誘われて行った。(2016/2/19)
  4. 「住む?」(2016/2/23)
  5. 二時間ほどの飲み会は瞬く間に過ぎ、(2016/2/26)
  6. よく晴れていた。(2016/3/1)
  7. 地元の商店が並ぶ通りを十分ほども歩いただろうか、(2016/3/4)
  8. 田んぼの田の字をした部屋だった。(2016/3/8)
  9. 「そやそや」(2016/3/11)
  10. 「一人暮らしだったんだろう」(2016/3/15)
  11. 「それで、その三人で住むことにしたってわけ」(2016/3/18)
  12. 俺が最も熱心に見るテレビ番組であるところの天気予報に、(2016/3/22)
  13. 大学に入って上京したとき、(2016/3/25)
  14. 「青葉君、何か変な食べ物知らへん?」(2016/3/29)
  15. (2016/4/1)
  16. ……以下続く……

 ※更新日の21:00にリンクから飛べるようになります

【あらすじ】
 卒業論文を一文字も書かずに提出した青葉(あおば)は、二度目となる大学四年生の春を迎えることになった。学生アパートから追い出された青葉は、大学の同期だった久保田(くぼた)に誘われ、初対面の神南(かんなみ)と共に2Kの部屋で三人暮らしを始める。生活時間が異なる三人は、付かず離れずの共同生活を続けていたが、ある日部屋に一人になった青葉は、自分の意外な趣味に気付く――


おことわり

  • 題名は仮のものであり変更することがあります
  • 連載の内容は告知なく削除・加筆・訂正することがあります
  • 転載・盗用を固く禁じます

 


とびだせどうぶつの森のデータが消えた話

いつものようにニンテンドー3DSを立ち上げ、とび森を起動させると、上のタイトル画面に見知らぬどうぶつが歩いている。
引っ越してきたのかしら、最近やさおとお別れしたしね、と思ってよく見ると、下画面に「つづきから」の選択肢がない。
私のカナリヤ村はなくなっていた。

原因に心当たりがないでもない。
乱暴に扱ったから、消えてしまったのだろう。
ありゃまあと思う。
とび森 データ 復旧」で検索して、めぼしい情報がないのを確認する。
仕方ないね。

――はて、と考える。
一年近く、毎日のように遊んでいたゲームのデータが消えたのだ。
それも箱庭系の、コツコツと自分好みの世界を作るタイプのゲームである。
ショックかと聞かれたら、ショックである。
「やっちゃったorz」というメールを家人に送ったし。
悲しいかと聞かれたら、悲しい……かな、という気もする。

もっと悲しむべきではないのか。
悲しくなりそうなことを並べてみる。
村を作って356日目だった。
もうすぐ一年経つはずだった。
村長としてはある程度まで開発をやりきっていた。
果樹園にはおそらく全種類のくだものが実っていた。
一人の男を招き、探偵のふりをした庭師という設定を与えた。彼は夜にしか外に出なかった。
もう一人の男にはホテルの建設を依頼し、部屋数も増えてきたところだった。
ひつじ優遇政策を謳ったカナリヤ村には、5頭のひつじがいた。
モヘア、フリル、ジュペッティ、メリヤス、ウェンディ。
ガリガリとボンは越してきたばかりだった。
シュバルツとふくこ、それにモヘアは私が来る前からの住民で、何度も出て行こうとしたのを引き止めた。

全て消えてしまったのだ、と自分に駄目押しする。
そうね、切ないね、と私が答える。
激しい悔恨がお前を襲わないか、と内なる声が尋ねる。
まあ、失敗しましたねぇ、と頬をかく。
頭を抱えてのたうちまわりたくはならないのだ。

だからと言って、そんな些細なことのためにこの一年どれだけの時間を費やしたのだ、という強い後悔があるわけでもない。
楽しかったね、消えちゃったのはもったいなかったね、またやろう。
好きなゲームなのだ。それでいいではないか。
そう、ゲームは本当におもしろくて、引っかかるのは私の心だけなのだ。

どうにもあらゆる感動が薄くはないか。
一年間遊んできたデータが、作ってきた村が消えちゃったんだぞ。
もっと大きな感情が去来してもいいんじゃないか。
このままだと、あ、自動販売機に10円取り損ねて置いてきちゃった、というのと同じような出来事で終わってしまうぞ。
明日は覚えていても、来週にはすっかり忘れてしまうぞ。

この記事も、特段書かねばとは思わなかったのだ。
ただ、このままだとこの気持ちを忘れてしまうなぁと思って、一応書いたのだ。
でも、この文章を投稿せずに消去したとしても、やっぱりあんまりショックでもないし、せっかく書いたのに、という気持ちもすぐに忘れてしまうだろう。

どうも気持ちが無なのだ。
何事にも、あ、そう、という思いになる。
「私が近々死んだら、その瞬間はきっと『しまった!』と思っているからね」と人には伝えてある。
あまりちゃんと聞いてくれていなかったようだ。
それも仕方ないね。