飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

忘れた


何を書こうとしたのか忘れるのを防ぐため、まず画像から用意して、それを見ながら書くことが多いのだが、今日はフリー画像検索の入力フォームにカーソルを合わせたところで忘れた。

忘れましたという記事を仕方なく書いているが、同様のことが今後も起こりかねない。
何なら、過去に同じことをやっていて、忘れている可能性もある。

大抵の場合、画像、タイトル、本文の順で書く。

適当に文字を打っていても思い出せないものは思い出せない。
物忘れはいやだなぁ。
いやだなぁ。

いいと思うところを拾う


「歯が抜ける初夢を見たが、どういう意味があるのだろう」と人に聞かれた。
その場で検索してみたが、ネガティブな意味が目立つ。
ただ「ストレスから解放されてスッキリする」という解釈もあったので、人にはその箇所だけを伝えた。
「とてもいいね」と言う。とてもいいですね、と思う。

私の初夢は、想像力が広がって新しいものを作れるだろう、と解釈することができるものだった。
もし、いい面を拾うのならば。

占いとはこのくらいの表面的でライトなお付き合いを続けていきたい。

重い岩や、深い沼が、そこらじゅうにある。
立ち向かうべきときもあるのだろうが、潰されたら大変だ、沈んだらおしまいだ。
見ないふりをしたり、避けたりもしよう。
どんな力持ちだとしても、目に映る岩を片っ端から持ち上げて歩かなければならない決まりはないはずだ。

我知らぬ悪行


晦日の夕食を終えて、ふと十数年前に迷惑をかけた人のことを思い出した。
大変申し訳なかった。

ただ、もし地獄の閻魔様のような存在の前に引き出されたとして、挙げられる自分の罪業はその件ではない気がする。
もしかしたら、そんなことありましたっけ、というような物事を並べられるのではないか。

人を傷つけるとか苦しめるとかいうと、大ごとのように聞こえる。
しかし、人を困惑させるとか落胆させるとか、そういうことは日常的にやっているかもしれない。

人に迷惑をかけずにいるのは無理だろう。
できるだけ誰とも関わらずにいようと思っても、日々を過ごしている限り何かしらはある。
どうしても、ある。そのはずだ。

2024年も人を困らせたりがっかりさせたりしながら生きていこうな。

水平思考ゲーム


冬至だった、昨日が。
柚子を準備していたのに、湯舟に持ち込むのを忘れるところだった。慌てて入れた。

風邪はほとんどひかなかったが、病気はした。休む時間の多い一年だった。
今日は一日中寝ていた、と感じて数えると、12時間睡眠ということがよくあった。
どちらかというと、残りの12時間は稼働していたはずなのに何もできなかった、という思いのほうが強い。

柚子湯に病気を防ぐ効能は恐らくほとんどないだろう。
ただ、かつて田舎の子供だった自分は、柚子湯に入ったおかげで東京に行くことができた。
一体どういうことだろう。

歌から先に帰ってくる


家の外を子供の歌が横切っていくと、近所の小学生は下校時刻になったのだなと分かる。

外の歌がこれだけ聞こえるということは、もし家の中で歌ったら同じくらい外に聞こえるのだろうか。
それとも、子供の声が高いから、特別によく聞こえるのだろうか。
では今から私が家の中で歌いますので、あなたは外にいて聞こえるかどうか判定してください。
……という実験は、本当にはなかなかやらない。

カラオケに行くとなったら、あらかじめスマホに曲目リストを作ることにしている。
準備をしておかないと、当日頭が真っ白になって、歌詞も分からない曲を入力してしまって、あわあわするに決まっているからだ。
もう何年も行っていない。形だけでも歌える歌が、一体いくつあるだろう。

焼肉の食べ放題に行くときのリストは既に作ってある。
食べたいメニューを並べてあって、上から順に注文していくのだ。
粋ではないかもしれないが、何度か試した感覚では、このやり方を用いたほうが満足度が高い。
行くたびに、少しずつリストを更新し、ブラッシュアップしていく。
好きなメニューの頼み忘れもなく、食べ過ぎることもなく、ちょうどよくなる。
おためしください。

私は申年


私は申年生まれではないのだが、自分自身でそう勘違いしてしまうことがある。理由は分からない。なぜだろう。
以前、会話の流れで「私は申年生まれで……」と自然に口にしてしまい、帰宅してから違うじゃないかと気が付いた。
とは言え、大した問題ではないだろう。年齢を少し誤解されたかもしれないが、その程度だ。

昔書いたものを見ると、これは意図的に嘘を交ぜているな、と思うことがある。
わざと嘘を書いたと記憶していればいいのだが、忘れていることもありそうだ。
嘘を交ぜたことは覚えていて、本当のことを思い出せないパターンもある。
想像上の読み手を騙すつもりで、自分を困らせている。

人狼ゲームが得意ではない。人を騙そうとして、すぐに瓦解する。
破綻するよりましだろうかと、狂人役のように振る舞うこともある。
しかし、結局は排斥されてしまうのが世の常だ。

だったら、潔白のときにも狂人のように振る舞ってはどうか? と考える。
黒陣営になったときと、区別がつかないように。
やめたほうがいい。損しかしない。
残念だ。自分の生死がチームの勝敗を直接には左右しないから、狂っているときが最も自由に振る舞えるのに。

ケニアにて詠む


ケニアで現地の女の子に200km先にあるマクドナルドに買い物に行かせてお礼に500円をあげる――という夢を見た。

人に話したら「悪い金持ちの見る夢だ」と言われた。
「金持ち」の部分はよく分からないが、「悪い」は当たっているかもしれない。しかし指摘されるまでは特にそうは思っていなかった。自分の思考を自然に受け入れていた。

夢の中の自分はあまつさえ「本当に200kmも離れているのだろうか、この女の子は嘘をついているのではないか」とさえ考えていた。

そしてケニアで短歌を詠もうとしていた。
文字数がうまく合わなくて、起きるまでには完成しなかった。
200と500という数字は入れようとしていた記憶がある。