飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

屈託なく、衒いもなく、異世界転生できるかな?


時代の潮流に乗れている気がしない。見当違いなことを書いていたら見逃してほしい。

長編ミステリ小説を読みたかったので、10冊ほど読んだ。
海の孤島。雪の山荘。資産家が建てさせた大きな屋敷。

異世界転生も、こういったテーマの仲間なのではないか、とふと思った。

ああ、よくあるお決まりのやつですね、というふうに扱われる。
こうなると、自分が書くのは難しいと感じる。あるいは何だか恥ずかしいと。
難しい理由は、例えば、既に名作が多数生まれているから、捻りを入れなくてはと余計な力が入るから、それでもなお陳腐化してしまいそうだから。
恥ずかしい理由は、まるで流行に合わせようとしているように感じるから。
流行に乗って悪いことなどない。しかし他人と同じことはやりたくないという過剰な自意識を、物を書く人間は抱きがちではないだろうか。それこそ余計な考えだろうか。

あらゆるものを異世界転生させているな、と自分でさえ感じた時期があった。だから流行していたのだろう。
王道も、邪道も、パロディも、虚をつくやり方も、もう試され尽くしたのではないかというほどだ。
あらすじだけを見て、今世でおやりになったら? と思ったことがないでもない。

もし、猫も杓子も同じテーマで書きまくって世の中が駄作で溢れかえる……としても、その事態を忌避すべきではないだろう。
そんな遠慮や躊躇で、生まれるはずだった作品がなくなるほうが、恐らくもったいない。
河原は石で埋め尽くされるべきである。
途方に暮れるような数の石くれの中に、価値ある宝や、磨くべき素材を見出だすのが、編集者やブックキュレーターといった人々が本来担うべき、ひどく困難で大切な仕事なのだろう。

異世界転生ものを書く人は、勇気がある。孤島や山荘、屋敷に挑む人と同様に。
自分にそれができるだろうか?
書きたくなったら書くべきだろう。石ころを増やせ。こんな凶悪犯と同じ場所にいられるかと、ためらうことなく叫んでいけ。