飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

我々はキュウリを差し出さないといけない

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楽しい夏の夜のことだったので記憶違いもあるかもしれないが、その帰り道、私はぬか漬けとスキレットの話をしたはずだ。

久しぶりの人たちと会った日だった。みんな小説を書くような人だった。その中で「この頃、書けないね」と言い合ったのが私と津和野さんだった。

私は、もうずっと書くのがつらいし、書きたいこともないし、ついでに楽しいこともあんまりない、と言った。強いて言うなら、ぬか漬けとスキレットには興味がある。ぬか漬けは今年の初夏からぬか床を作って世話をしていた。スキレットも同じ時期に思いがけず抽選で当たって、油を塗っては熱して鉄になじませていた。

だから小説を書く代わりにぬか床をかき混ぜることならできる、とまで言ったかはよく覚えていない。とにかくそういう、つかみどころもオチもない話を聞きかねたのか、津和野さんが言った。

「でも、ぬか床をかき混ぜることはエンタメじゃありませんから、それだけでは何にもなりませんよね。即売会のブースでぬか床を混ぜていても、来た人には伝わらない。漬けたキュウリを食べてもらわないと」

この台詞には多分に私の脚色が混じっているだろうが、大体こんなことを言っていたはずだ。言ったのも、確か津和野さんだったと思うのだが、これが別の人だとここからの話の展開上都合が悪いので、そういうことにしておいてほしい。何しろ楽しい夜だったのだ。

 それを聞いた私はこう返した。

平野レミさんっているでしょう。あの人がもし『きょうの料理』か何かに出演して、カメラの前でぬか床をかき混ぜたら、テレビを見ている私たちの口にはキュウリのひとかけも入らないにも関わらず、それはきっとエンタメになるよね」

それからこんなことも言った。今、私たちがこうして小説について(そう、これでも小説についての話だったのだ)話していることは、仲間内ではとてもおもしろく感じられるけど、たまたま周りに居合わせた無関係な人々にとってはただのおしゃべりだ。ただ、話の内容をきちんと文章に起こして、真面目に編集を入れたら、ちゃんとした読み物になる可能性はあるんじゃないか。

翌日になっても、私は考え続けていた。我々はレミさんじゃないから、どんなにぬか床をかき混ぜてみせても、人を楽しませたり、考えさせたり、びっくりさせたりすることはできない。我々が人に何らかの影響を与えようとするなら、ぬか床からキュウリを取り出して、それを食べてもらわないといけない。

いつの間にか主語が「我々」になっているが、これは「レミさん」の対義語ということで許してほしい。 

私は思い切って津和野さんに連絡を取り、「何かは分からないけど、とにかく何かやりませんか」と声を掛けた。そこから、怖い話と「小説を書くこと」そのものについての本を作り、11月の文学フリマ東京に出展しようと話は進んでいく。

これからしばらくこのブログでは、それにまつわる話やそうでもない話を、記事に書いていこうと思う。

ところで、ぬか床とスキレットは毎日使うことこそが何よりの手入れであり……というような文脈を計算して、冒頭にその話を置いたのだが、どうも話がつながらなかった。そういうわけで、スキレットの話はどうやらもうおしまいである。ジャガイモを焼くとうまい。

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