飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

ギブミー、ギブユー。

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過去にネットの記事で読んだことのある実験の話だ。うろ覚えなので、実際と違うところもあるだろう。ご容赦を。

ある人が、バレンタインデーに繁華街に行き、「チョコください」と書いた箱を持って、1日立っていた。すると、通り掛かる人たちが面白がって、何人もがチョコやお菓子を入れていった。
感激したその人は、ホワイトデーにも同じ場所に行き、「チョコあげます」と書いた箱に自分で買ってきたチョコを入れて持ち、1日立っていた。しかし、結局誰一人としてそのチョコを持っていかなかった。

示唆に富むと思う。人に何かをあげることは、楽しく、安心なのだ。一方、人から何かをもらうのは、時に不安を伴う。それが知らない人からであれば、なおさらだ。
また、あげた人はすぐに忘れても良いが、もらった人は後に引きずる。全ての場合に当てはまるわけではないが、そういう面もあると思う。

もらえる人よりも、あげられる人を、うらやましく思う。
というより、もらえる人ってそんなにうらやましいだろうか、という疑問がある。
あげることは楽しい。あげることはレジャーになり得る。
もしレジャーなら、強制することでもされることでもないはずだ。

ルールを考える仕事なのか?

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  1. ルールを考える
  2. ルールを守らせる方法を考える
  3. 全員がルールを守らなくても何とかなる方法を考える

子どもの頃は1.のことばかり大事だと考えていたが、実際には2.を無視できないし、3.の良いアイデアがあれば最も状況を改善できるように思えてきた。というより、そもそも3.を踏まえて1.を決めるのがより良さそうだ。

AIにくれてやる

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曖昧な表現にせざるを得ないので、ぼんやり読んでほしい。

いわゆる「AIに奪われそうな仕事」をすることがある。
自分がこの仕事を失うことは、今すぐにはない気がするが、1年後は分からないな――と思って、3年くらいたっている。
実用化は、されている。使ったことも、ある。使い方によっては、便利な部分が、ないでもない。しかし、AIが出力した成果物は、そのままではとてもクライアントに納められない。チェックのレベルではなく、人の手による大幅な修正が、確実に必要だ。
こういうことは、一気に技術が進むのかもしれないから、やはり1年後は分からないなと思う。この感覚は、変わっていない。

人の心は、あまりいらない仕事だ。むしろ、邪魔になることもある。また、人の心を無為に苦しくする場合も、時にはある。AIができる仕事なら、喜んでくれてやる。
ただ、現在までに実用化されたものを見ていると、こういう危惧がある。
シンプルで、整理されており、前向きで、基本的に冷静に処理されてきた案件は、近いうちにAIが作業できるようになるだろう。
煩雑で、ぐだぐだで、感情的なものが行き交ってどうしようもなくなっている案件は、まだまだ人間の手に頼る必要があるだろう。
楽で面白い案件ほどAIに回りやすく、大変で面倒くさくて気持ちが暗くなる案件ほど人間に回りやすくなるのではないか。
少なくとも、普及の過程で、そういう時期が挟まると個人的には予想している。

いろんな人の気持ちがぐちゃぐちゃに絡み合ってほどけなくなっているところを、まずAIがチューニングしてくれると、人は少し息がしやすくなるんじゃないかという希望を持っちゃうんですけど、その辺どうですか、未来の方は。

本に書く。本を折り曲げ、本を切る。

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生理的に受け付けないという人がきっといるだろう。だからはじめに注意書きをしておくと、この先、本に書き込みをしたり、本を切ったりする話をします。

読書の方法にはいつも悩んでいる。ただ読む瞬間を楽しめばいいじゃないかという思いと、読むからには後に残る何かを得ていきたいという思いの、両方がある。
だから、読書法の本も、幾らか読んできている。読書メモの取り方。読んだ本の中身を覚えておくには。速読。熟読。読書会。スクラップ。等々。

そういうものの中に、本に書き込みをするやり方は、何度も紹介されていた。そして試してきた。自分の場合は、学生時代にその方法をよくやった。読書がレポートや発表に直接つながる機会が多かったから、状況と方法の相性は良かったと思う。
色ペンで線を引く。はたまた鉛筆で感想を書き込む。マーキングをする。付箋を使うやり方もあった。
しかし結局は、どれも定着しなかった。それぞれにいいところはあった。ただ、本を読むときに本以外の道具を用意するのが面倒だったのと、読書の流れが何度も途切れることに馴染めなかった。
何年もたって、書き込みをした本を読み返すと、当時の自分の考えが見えて面白い。何だこの書き込みはと赤面する箇所も多いが、それも含めて、少なくとも書き込みをしなかった場合と違う読書体験をできている実感がある。

本を切り、無理矢理分冊にすることもある。背表紙を、力を入れてぐっと折る。カッターの刃を、スッ、スッ、と何度も通し、2冊あるいはそれ以上に分ける。それぞれの背は製本テープで補強する。
学習参考書や問題集に用いることの多かった方法だ。特に、後半に解答がまとめて載せられているものは、分冊にすると便利だった。厚い参考書の扱いにくさに参ったときに、単元の区切りで切り分けて薄くすることもあった。
実用書はともかく、小説でこれをやった覚えはない。もしミステリなどで、序章に人物や建物など全ての設定がまとまっているような構成であれば、分ける理由にはなるかもしれない。現実には、することはないだろう。

繰り返しになるが、本をこのように扱うことが、どうしても受け入れられない人は、一定数いると思う。書いた切ったをする自分でも、こういう本は切れないとか、こんな扱い方はちょっととか、勝手な話だが、場合場合で感じることはある。
最近、実用系の同人誌を、書き込んだり折り曲げたりして使うように、と想定して作った。表紙は薄めの柔らかい紙にしたから、折り曲げて開きっぱなしにしやすいし、丸めて持つこともできる。邪魔なら破り取ってしまってもいいと思う。
いいと思うが、あまりこういうことを言わないほうがいいだろうか、と心配にもなっている。何も、見てくれる人の拒否反応を引き起こしたいわけではない。一方で、思うように、あなたの扱いやすいように、好きにしてくれていいんですよ、と作った者の立場から言っておきたい気持ちもある。
そして少しの後悔がある。あの同人誌は、もっともっと雑に作れば良かった。書き込んでも胸が痛まないように。切り分けても呵責を感じないように。心を込めず、形を整えず、何の愛着も湧かないように仕上げるべきだったのかもしれない。

同人誌の通販休止と直近の頒布予定について(2020年11月)

平素は格別のお引き立てをいただき誠にありがとうございます。

弊サークル在庫整理のため、架空ストア様に委託して販売している下記の同人誌につきまして、販売休止とさせていただきますのでお知らせします。

販売休止日:2020年11月30日(火)

【対象商品】
現在架空ストア様にて取り扱っていただいている全ての同人誌
飛び降りていないことの証明
見えない聞こえない曲がりにくい
投げたボールは戻ってくる

なお、以上3種の同人誌全てにつきまして、テキレボEX2(全通販型イベント)での頒布を予定しております。
開催期間は2020年12月26日(土)~2021年1月11日(月)です。

テキレボEX2以降の頒布については、現在のところ未定です。

今後とも、よろしくお願いいたします。

2020年11月21日
ナタリーの家 わたりさえこ

うかうかセンチメンタルジャーニー

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台風19号が通り過ぎた翌週のことである。
Tさんと駅で待ち合わせた。ところが時間が近づいても来ない。
連絡をすると、どうも位置の話が噛み合わない。私の伝え方が悪くて、それぞれ異なる駅で待っていたのだった。来てくれるというので留まった。

めでたく落ち合い、街へと繰り出す。人の多さで動きづらい。
流れに乗って歩きながら、私はこのところポンコツで、いや私のほうもダメダメで、などと話をしていると、有名な観光地の真ん中に着いていた。
どうか頭が良くなりますようにと祈りながら線香の煙を浴び、凶以外はお持ち帰りくださいというおみくじを引いた。
二人で粛々とおみくじを所定の位置に結び、人を避けてその場を離れた。

ちょうど目の前にあったのが、本来なら前週に来るはずだった建物だ。
せっかくだからと中に入り、せっかくだからとエレベーターに乗った。
気になる展示もあったが、入場料の額に尻込みしてUターンした。私はこういうとき、とっさに思い切るのが苦手だ。事前に調べていたらきっと入っていたね、と二人で言い合った。

駅方面に戻る道を行く。メロンパンの匂いが外まで流れてくるお店があり、いつも気になっていた。
これもせっかくなので購入し、店内に座る。ジャンボサイズだが軽い。とは言え一度に全部は食べられないかな、と言っている間に全部食べていた。
グレーのペンでうっすら書いていたtodoリストに、赤でチェックを付けた感じがする。

そして、これも前週に来る予定だったバーに入る。
レジでチケットを購入して、席で待つシステムに戸惑う。追加注文のときも、しっかりもう一度戸惑った。
電気ブランソーダというのは甘いものなのだな。鶏の唐揚げと組み合わせると目が閉じる美味しさだ。続けて「デンキブラン」と表記された割っていないものも飲んでしまった。これも良い味だったが、最後は氷で少し薄めて喉に流し込んだ。

そういえばと、Tさんに完成した本を差し上げる。これでようやく、自分以外の人の手に本が渡ったことになる。
こういうことになるとは、二週間前には想像していなかった。思いがけないこと、どうしようもないことが起こる。
そのおかげで、いつも気になりながら機会を逸していたことができた。煙を浴びてメロンパンを食べてデンキブランを飲めた。だから、これはこれでまあ良かったのかな。
――いや、やっぱり良くはないな。

それから長くいられる場所に移動して、長く話した。そろそろ解散というときにメールをチェックしたら、通販の在庫準備ができたというお知らせが届いていた。
あの台風の日から無為に山積みされていた本たちが、いよいよ運ばれていく。運ばれていったらいいな、という話だが、少しでもそうなるようにやることはやりましょうと二人で話した。
旅に出なさい。どこかに行きなさい。私のところにいてはいつか燃やされてしまうよ。どうせ燃やされるなら離れた場所に向かいなさい。別れることはリスクの分散です。「まだ存在しているかい」と尋ねられたときに、どこかから「いるよ」と返事をする者が在ることを望む。このときはまだ飛び降りていなかったことの証明として。


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『飛び降りていないことの証明』にまつわるこれまでとこれからの記事

互いを知らぬ人たちが同じところを見ていた

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私の友人と私の友人がたまたま友人同士であることもある。しかし今回はきっとそうではないだろう、という前提で記事を書く。

『飛び降りていないことの証明』の表紙イラストは昧さんにお願いした。
以前に『一羽の鳥が飛行機から飛び降りる』というちょっと似たタイトルの本でも描いてもらっていたし(内容は特に関係ない)、何より私が本を作ること自体が久しぶりで、昧さんに絵を頼めるチャンスを逃す手はないぞとアプローチし、快諾してもらった。
その時点で収録作が2つできていたのでデータを渡し、間もなくこの素敵なイラストが送られてきた。

さて、印刷所への入稿〆切数日前のことである。
私は本に載せる3作目の話を書きかけていた。まだ書きかけだったのである。そして没にする直前だった。私は自分の書いたものを捨てることにためらいがない。
しかし今回は人の手を大いに借りているので、そういうわけにもいかない。行き詰まっている中、昧さんに会える機会があって出かけた。
とりとめない雑談に交じって「あの表紙は何を描いたものだと思った?」と尋ねられた。私は、これはこう、これはこういうことを表していると感じた、と答えた。次に昧さんから描くときに考えていたことを聞いた。その2つはずいぶん違っていた。
コーヒーをたくさん飲んで別れ、私はその後、原稿データをまとめてえいやっと印刷所に送った。目をつぶってえいやっと投げるためにも、こういう踏ん切りが必要だったのだ。

面白かったのは、私が何気なく書いた本文中のある描写を、この本の制作に協力してくれた昧さんと津和野さんの2人ともが、気に留めていたことだ。
昧さんはそれを表紙に描き、津和野さんは解説文で触れた。
2人は面識がない(と思う、多分)のだが、同じところを見ていた。その点、間にいるはずの作者が一番無関心だった。私の頭の上を超えて間接的なやり取りが行われている感覚。これだから人の手を経るというのは面白い。

▼10/21より通販スタートしました。よろしくお願いいたします。

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