飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

私は申年


私は申年生まれではないのだが、自分自身でそう勘違いしてしまうことがある。理由は分からない。なぜだろう。
以前、会話の流れで「私は申年生まれで……」と自然に口にしてしまい、帰宅してから違うじゃないかと気が付いた。
とは言え、大した問題ではないだろう。年齢を少し誤解されたかもしれないが、その程度だ。

昔書いたものを見ると、これは意図的に嘘を交ぜているな、と思うことがある。
わざと嘘を書いたと記憶していればいいのだが、忘れていることもありそうだ。
嘘を交ぜたことは覚えていて、本当のことを思い出せないパターンもある。
想像上の読み手を騙すつもりで、自分を困らせている。

人狼ゲームが得意ではない。人を騙そうとして、すぐに瓦解する。
破綻するよりましだろうかと、狂人役のように振る舞うこともある。
しかし、結局は排斥されてしまうのが世の常だ。

だったら、潔白のときにも狂人のように振る舞ってはどうか? と考える。
黒陣営になったときと、区別がつかないように。
やめたほうがいい。損しかしない。
残念だ。自分の生死がチームの勝敗を直接には左右しないから、狂っているときが最も自由に振る舞えるのに。

ケニアにて詠む


ケニアで現地の女の子に200km先にあるマクドナルドに買い物に行かせてお礼に500円をあげる――という夢を見た。

人に話したら「悪い金持ちの見る夢だ」と言われた。
「金持ち」の部分はよく分からないが、「悪い」は当たっているかもしれない。しかし指摘されるまでは特にそうは思っていなかった。自分の思考を自然に受け入れていた。

夢の中の自分はあまつさえ「本当に200kmも離れているのだろうか、この女の子は嘘をついているのではないか」とさえ考えていた。

そしてケニアで短歌を詠もうとしていた。
文字数がうまく合わなくて、起きるまでには完成しなかった。
200と500という数字は入れようとしていた記憶がある。

堂々としていろ


ほとんど同じブラウスを2着持っていることに気が付いた。
色はホワイトとベージュだし、よく見れば裾の形も微妙に違うのだが、着ると首元しか見えないので違いが分かりづらい。
クローゼットの中で同時に2着発見したことで、別々の服だと初めて分かった。
道理でローテーションが早いと思った。

洋服の正解を教えましょう、というCMを見かけることがある。
すると、ただでさえない自信をすっかり失ってドキドキしてしまう。
そんなことを言うのはやめてくれと思う一方で、洋服の「間違い」が存在するような感覚は確かにある。

美容師さんに髪の悩みを相談する。
ドライヤーのかけ方や、ヘアオイルの付け方を教わったが、最終的には「自分はこういう髪型なのである」という態度でいなさいとアドバイスをもらった。

服装、髪型、あるいは化粧、何もかもよく分からないままでいる。
みんな、本当に分かっているのか。どのくらい分かっているのか。いつどのようにして分かったのか。
分からない。仕方がない。自分はこういう者である。
やることやったら諦めろ。あとはできるだけ堂々としていろ。

微かに温かい


結露のひどい部屋で何年も寝てきた。
これまで様々な手を講じてきたが、ついに除湿器を置くことにした。

除湿器というストレートな手段をこれまで使ってこなかったのは、寝室に置くにはうるさそうだからだった。
実際、かなりの動作音がする。寝つきの悪い人にはつらいかもしれない。
独特のにおいもある。これはまだ新品なせいかもしれない。
さらに、温かい風が出る。ただし、暖房の代わりになるほどではない。
やたらと存在感の大きな道具だ。

うるささと引き換えに、一晩で1.5リットルの水が溜まる。
冬の朝になると窓にも壁にもできていた結露は、劇的に改善されたように見える。

タンクは毎日空にしなければならない。
ここに溜まっている水が、やけに冷たくきれいに見える。
無為に流すことに、わずかなためらいすら覚える。

役立たずの自分、という思いの強い人間が、一見きれいそうな水を捨てる。
これは何なのだろう。
手順通りのただの作業だ。
なのに、間違っているような気がしたり、むなしい思いが付いて回ったりする。

未来への申し送り


問題編。
WordでPDFファイルを作成するため、用紙サイズをB6に設定しようとしたところ、うまくいかなかった。
まず、用紙サイズに「B6」という選択肢がなかったため、自分で指定することにする。
メニューバーから「レイアウト」→「ページ設定」→「用紙」タブと進み、「用紙サイズ」のプルダウンから「サイズを指定」を選択。幅を「128mm」、高さを「182mm」に指定する。
しかし、後ほど見ると設定が勝手に変わっている。「用紙サイズ」は「5x7 inch」になってしまい、幅と高さも書き換わっている。

解決編。
ここで表示される用紙サイズは、プリンターの設定に拠るらしい。
そもそも「B6」が選択肢になかったのも、プリンターがB6サイズの用紙への印刷に対応していないためだろう。
今回の場合、PDFファイルを作成することが目的のため、実機のプリンターが対応していない(用紙に印刷できない)ことは問題ない。
Wordの設定さえ変えられればいい。

そこで、メニューバーから「ファイル」→「印刷」と進み、「プリンター」のプルダウンから仮想プリンターを指定する。
自分の場合、用紙に印刷するためのBrotherのプリンターに指定している状態では、用紙サイズの設定が思うようにできなかった。
PDFを出力するための「CutePDF Writer」というフリーソフトがダウンロードしてあったので、これをプリンターとして指定したところ、用紙サイズの設定が自由にできるようになった。
例えば「OneNote for Windows」などでも同じようにできるのではないだろうか。

以上が申し送りである。

というのも、自分は過去に何度も、用紙サイズの設定がうまくできないなぁと思っては、設定をいろいろいじったり、似た症例を検索したりして、最終的には同じ解決法に至っているのだ。
頭で覚えておければいいのだが、たまにしか触らない設定のことはすぐに忘れる。
書き留めるのは面倒だ。
面倒なのだが、書いておくと便利なのは違いない。

夕飯に食べるそぼろの作り方さえ、自分のブログを検索して毎回のように調べているのだ。

そういうわけで、記憶を失った未来の自分への引き継ぎをここに行った。
ブログに書いたという事実のほうだけでも、できれば覚えておいてほしい。

あなたは階段から飛び降りる


下り階段で足を踏み外して、3段ほどを不意に飛び降りた格好になった。
思いがけず全体重を支えることになった右脚が痛んでいる。

あるときから急にエスカレーターを怖がり始めた人がいる。
聞くと、エスカレーターから落ちる夢を頻繁に見るようになったそうだ。
何かきっかけとなる事故があったのかというと、そうではないらしい。
夢が先、現実が後。

中学生の頃、校内の掃除中に不注意で階段から滑り落ちた。
周りに何人も生徒がいて、落ちた瞬間を見られたのが恥ずかしかったことを覚えている。
痛みのことは特に覚えていない。

今回の転落は、外だったのだが、近くには誰もいなかった。
見られなくて良かった、とまずは思った。
しかし、もしひどい怪我などをしてしまっていたら、目撃者がいてくれたほうが助かったということになったかもしれない。

通りかかった人間が、足を痛めて動けない弱った誰かを見た瞬間に、悪事を考えつき、実行に移すような者でなければ。

見られなくて良かった、と思えるくらいの状況で良かった。

これより読書感想文コンクールを開始する


AIの悪用を懸念し、次年度から読書感想文のコンクールで要項が改められることになったらしい。

電卓を使えば早いのに、計算テストを行うように。
自転車を使えば速いのに、100m走を行うように。
これらは必要な訓練だから。

かつて受けた大学入試で、こんな形式があった。
小論文の試験だ。課題図書が事前に設定されていて、あらかじめ読んできても良い。
試験会場で席につくと、新しい課題図書が1冊と、原稿用紙、問題用紙が配られる。
時間になったら問題用紙をめくり、テーマに沿って小論文を書くのだ。

読書感想文コンクールとAIとの関係も、レギュレーションの話になっていくのだろうな、と想像する。
競技性が高まっていくかもしれない。

ところで、コンクールの新しい要項でも、文章の校正にAIを使うのは問題ないようだ。
それは柔軟な対応で良いですね、と感じる。

AIはあくまでプログラムに基づいて動作するのであって、個々のスタイルや意図を完全に再現するわけではない。
適切な表現や文体の選択は、人間の経験や判断に頼る必要がある。
と、うちのAIも言っています。