飛び降りていないことの証明

つつがなく世渡りさえこなせれば

悪夢も誰かの夢である

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純金の鎖を首からかけた男が、バスタブの中で札束に埋まっている。たくましい腕には一人ずつ、グラマラスな美女をぶら下げている――

悪夢も誰かの夢である。

3年ほど前に「小説を書くのがつらい。」というアンケートを行った。Twitterで告知して、フォロワーさんが10人くらい答えてくれたら嬉しいなと思っていたら、半日で400を超える回答が集まって、それ以上は集計が追いつかなくなるので泣く泣く締め切った。

回答の内容以前に、「小説を書くのがつらい」ということについて何か言いたいという人がどうやらたくさんいるらしいぞ、ということがまずショッキングだった。

さて、その設問の一つで「知人から『小説を書くのがつらい』と相談されました。どうしますか(思いますか)?」と尋ねた。様々な回答があったが、助言としては多くが2パターンに分けられた。すなわち、「つらくても書きなさい」と言うか、「つらいならやめなさい」と言うかだ。

そこで私は両方とも試してみた。つらくても書くほうは、つらかった。当たり前だ。つらさに何の対策もできないまま、とにかく書くのだから。

では、書くのをやめたらどうなったか。方法は簡単で、書きたくなるまで書かないでおこう、と決めるだけである。

この効果が劇的だった。自由な時間が増えます。仕事が順調に回ります。お金が溜まります。人に優しくなり、家庭が円満になります。ほとんど通販でパワーストーンを手に入れた人状態である。

これにはまいった。一年間くらいほぼ書かないでいたが、いっこうに書きたくならない。どうやら、このまま書きたくなるのを待っていたら、ろくに何も書かないまま一生を終えることになりそうだ。

死の床で家族と友人に感謝の言葉を述べて「幸せな人生でした」と静かに目を閉じるのだろうか。それはいやだぞ、と思った。いや、穏やかな死も、感謝と幸福に満ちた生も、それはそれで望むところなのだが、そのおしまいのときまでにちゃんと小説を書くという工程が挟まっていないのは落ち着かないのだ。

この「ちゃんと」というのが何を意味するのか、私はずっと頭を悩ませているのだが、それについては今度出す『見えない聞こえない曲がりにくい』という本を読んでみてほしい。ときどき宣伝を挟まないと、本に書いたことをうっかり全部喋ってしまいそうになる。

ともかく、一つはっきりと分かった。「つらくても書きなさい」も「つらいならやめなさい」も、「小説を書くのがつらい」という状況の解決策ではないのだ。かと言って、他の人に何かアドバイスをしようと思ったとき、この二つ以上のことを言うのはやはり難しい。

自分でなんとかするしかない。でも、自分でなんとかできないから困っている。

それで、私は手揉みしながら共著者となる人に尋ねた。何か楽にうまいこと小説を書けるいい方法はありませんかね。パワーストーンを買うのは無しで。

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